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かつての小友村で、北は川村、南は鬼沢村、東は桂村、西は貝沢村に接し、弘前城下から鯵ヶ沢を経て大間越へ向かう西浜街道と、弘前城下から野木村を経て十三湊へ向かう十三街道の2つの街道を結ぶ道筋の中間に位置します。
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貞享4年検地水帳によりますと、縦34間・横20間の古館が記されています。これは小友館を指し、現在は小友小学校に板碑2基(内1基に正中4年三枝又五郎を刻みます)を残しています。
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御祭神は別雷神。
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貞享4年検地水帳によりますと、宮太夫抱えの観音堂があり、これは後の加茂神社を指します。
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弘藩明治一統志によりますと、弘長3年(1263)最明寺入道時頼の建立と伝え、明治6年に村社に列しました。
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こちらの狛犬は個性的ですね。
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後ろ姿。
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台座に名前などが彫られていますが、質的にこの狛犬の台座ではない気がします。
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向拝の彫刻も素晴らしい。
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木鼻。
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怖い顔の亀がいました。
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社殿内。
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本殿。
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皇紀2600年奉祝記念碑(昭和15年12月17日・高山松堂書)。
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昭和58年5月26日日本海中部沖地震災害復旧記念碑(昭和60年8月17日)と御神馬一対。
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末社。観音堂の名残を感じさせます。
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こちらも末社。
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真ん中の祠には不動明王。
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庚申塔など。
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石が大きい。
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こちらの建物の中には…
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御神木の切り株が!やばい大きさです。
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上に乗っている木には「神木 夫婦杉芯」とありました。
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在りし日の写真も飾られていました。
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