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いきなり踏切(今別幼稚園踏切道)が見える(笑)
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電車が走る境内。
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踏切を渡ればすぐ高野山観音堂。
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向かいは今別幼稚園の廃墟でしょうか。
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貞享4年検地水帳によりますと、今別村に門徒宗正行寺屋敷、八幡社地、観音堂地、山神社地が見えます。
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浄土宗始覚山本覚寺末庵の高野山観音堂(※第21番札所鬼泊厳屋観音堂も本覚寺が管理)。
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津軽三十三観音第20番札所。
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慈覚大師作の観音像を安置。
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観音堂が荒廃した寛政3年(1791)、本覚寺十三代愍栄が古仏を引き取り、自ら彫った十一面観音の体内に納めて、本覚寺客殿裏に安置。
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寛政5年(1793)、同舎を新造して本尊を戻し、境内に円通庵を創建して、観音堂を管理させたといいます。
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この際、二又村に住む金十郎という者を西国に行かせ、三十三観音霊場の土を持ち帰らせ、新堂の下に埋めたそう。
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昭和30年の今別大火で全焼しますが、本尊は無事だったそう。
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『この観音堂の草創は古く天長年中(827年頃)であると言われ、本尊は十一面観音で慈覚大師の作と伝えられている。寛政5年(1794年)の御堂建立に当たっては西国三十三霊場の土を運ばせ御堂の下に埋めたことからここに参詣すれば西国三十三観音を拝するに等しいとも言われ津軽霊場三十三観音の二十番掛所として広く知られている。又、この御堂の左側階段を登ると石仏の聖観音像三十三体が祀られている。』
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三十三体を辿りながら山へ登って行くと今別小学校のグラウンドに出ました。
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