大慈寺町の由来は寛文13年創建の黄檗宗福聚山大慈寺にちなみます。
この地は江戸期から寺の下寺院群と称されていました。
天正年間の創建、あるいは中興と伝えます。
盛岡三十三観音第7番札所。
本尊は釈迦如来。天正3年(1575)尽室長呑が中野村新山館(現在の高崩)に一宇を建立。
源勝寺(当時は紫波郡土館村にあり)9世天室清耽を招請して開山とし、いつの頃か現在地に移転したと伝えます。
盛岡藩主南部利視の実母浄智院の帰依により、享保14年(1729)に伽藍を造営、寺領10石を賜り、八幡片原町に隠居所を寄進。
しばしば火災に遭い、明治6年(1873)にも類焼しましたが、同15年に現本堂を竣工。
寺宝として左甚五郎(江戸時代初期に活躍した伝説的彫刻職人)作と伝える木造七福神があるそう。また盛岡市指定文化財として「十六羅漢図」16幅及び「所記次第」1幅があります。
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