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今回は笠森稲荷ゾーンです。
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明治天皇御聖像。
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御聖跡碑。御聖像は昭和50年、碑は昭和15年に建てられました。
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御聖像奉建之詞。
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明治9年(1876)天皇の東北巡幸の際には当社に行幸を仰ぎ、県産馬を天覧。
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田村了咲句碑。
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「芹の水満ことなく減ることなく」という句があります。これは、俳誌「夏草」に発表した代表作のひとつ。
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了咲は明治40年盛岡市に生まれ、昭和2年高浜虚子の「ホトトギス」に入門。昭和5年「夏草」創刊により、山口青邨に師事。「楡の杜」「中尊寺馬車」など句集を発表。昭和55年、72歳の生涯を閉じました。
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巌鷲山石碑(弘化5年建立)は当初修験者自光坊座敷にありましたが、近所の民家が祟るというので明治26年にここに移されたもの。侍が夜道を歩いていると大入道が現れ、侍は刀を切りつけました。しかしよく見るとこの石碑で、刀痕だけが残ったそう。近所の民家に祟るというので明治26年八幡宮境内に移転(( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
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八幡宮との間にある広場には盛岡天神社、健康神社、大国・恵比寿社・十二支社など色々あります。
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神楽殿。
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大国・恵比寿社。
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大国様(大国主命)。
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恵比寿様(事代主命)。
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中央には獅子頭がありました。
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天井にも色々。
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御神馬「絵馬」の由来がありました。こういうことは意外に知らない人が多いと思うので、境内に説明があると神社検定受験者は助かりますね(笑)
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歯固めの石がありました。
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天神社・健康神社の裏手にある客殿。
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来賓の迎賓館。
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十二支社。
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子年生(出雲神社)。
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丑年生(天照皇大神社)。
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寅年生(八坂神社)。
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卯年生(三嶋神社)。
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辰年生(賀茂神社)。
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巳年生(大神神社)。
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午年生(神明神社)。
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未年生(八雲神社)。
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申年生(日吉神社)。
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酉年生(春日神社)。
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戌年生(正八幡神社)。
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亥年生(鳩森八幡神社)。
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十二支社の狛犬。
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笠森稲荷神社は八幡宮が建てられる前より八幡山の山頂に祀られていたものです。歴代藩主から一般庶民にまで広く信仰されていました。
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御祭神は宇迦之御魂命。その付近に居住していた彌五郎長者の守護神であったとも伝わります。
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地主神として延宝8年に建立され、明治28年に社殿が焼失。
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昭和32年(1957)に八幡山の山上から旧招魂社跡地に遷座。昭和35年(1960)9月に崇敬講の人々により現在の社殿再建。
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元「笹森」と奉称されたとか、奥州街道の旅人が笠を捨てて山をなしたために笠森という名称ができたとも言われています。
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徳川家康が瘡病で苦しんでいるとき、江戸・谷中の感応寺境内にある笠森稲荷にお祈りしたところ全快したという江戸の伝説に同じく、昔からできものなどを癒してくださる神とし祈願する風習もありました。
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神輿殿。
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延宝9年(1681)から現在まで300年以上用いられた旧神輿と、漆仕上げの上に螺鈿を施した東北唯一の重厚な新神輿があります。
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神宝殿。
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社宝の平安末から鎌倉初期の作とされる無銘・伝山城の太刀一口は、同じく社宝の無銘・伝新藤国義の脇差一口とともに県指定文化財。その他にも県指定文化財がいくつかあります。
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盛岡八幡宮拝殿前から見た神宝殿。手前に写るのは儀式殿。
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神宝殿前にいた狛犬です。
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個性的。
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神明社。御祭神は天照皇大神。延暦の昔、坂上田村麻呂が盛岡の仁王の地に建立したものと伝えます。
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元禄時代には中野舘の煙草丁(生姜丁・現在の明神町)等に社地を遷しましたが、その後八幡山に移されました。
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明治17年(1884)盛岡の大火により焼失。昭和43年(1968)明治維新100年を記念し現在地へ。
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自光坊の先祖が伊勢に御神体をうけ、盛岡の仁王に祀ったという話が伝えられていたり、神さまを遷す時には5尺くらいの柱を霊代にし、自光坊自ら背負ってきたとの言い伝えもあります。
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藩政の頃は神明社所属のことで、自光坊と鈴木神職との間で争いが生じました。自光坊が訴訟に勝ち、それから自光坊の力によって神明社が発展してきたそう。
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水子霊舎。
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梅宮は安産祈願の社。 酒解神、酒解子神、大若子神、小若子神が祀られています。
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寛保元年(1741)、南部23代利視公が人々の子孫繁栄を願って京都梅宮大社の御分霊を祀り、安産・婦人・醸造の守護神として歴代藩主から庶民にまで深く信仰を集めました(※盛岡砂子によりますと元文5年(1740・元文6年ともいう))。
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旧藩時代は笠森稲荷神社の近くにありましたが、明治17年の大火によって社殿焼失。その後は八幡宮本殿に安置されていましたが、信仰が厚かった人々が本殿の建築費を寄進され、大正3年(1924)に社殿を現在地に再建。
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金勢神社。子授の神様です。無修正でお送りします(笑)
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そういえば盛岡には奇祭と言われる「淡島・金勢まぐわい祭」(中津川河川敷で開催)ありますね。
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