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『岩屋観音の草創は定かでないが、貞享3年(1689年)「外ケ浜代官所…書上張」によるとこの天然の岩洞に小さな祠が建てられ観世音菩薩が安置されているとある。又、天明6年(1786年)頃の凶作が続いた大飢饉には人々が苦しみ心は荒れはて悪人を鬼と言われた頃、この観音堂は津軽霊場三十三観音の二十一番札所掛所として広く知られていた。』
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鬼泊岩寛延巡礼記によりますと「海の中に岩あり。船にて参詣する所なり」とあり、かつては海中にあり、船からの参拝であったことがわかります。
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ってことで海側から見てみました。
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天気がいいと気持ちのいい海岸ですね。
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正保4年(1647)岩の洞穴に観音堂宇を建てて厳屋観音にしたと伝えます。波飛沫をかぶる過酷な堂宇は傷みが激しく、享保年中には半ば壊れており、本覚寺の5世住職貞伝上人が荒廃を見かねて本尊を本覚寺に遷しました。
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本尊がなくなっても信仰厚い人々は厳屋観音への巡礼を続けたそう。袰月とは高野・鋳釜崎を中心とした周辺一帯の呼び名であり、巡礼者は鬼泊岩厳観音を袰月観音と言い慣わしてきました。
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明治元年に神仏分離により消滅。明治20年代に霊場巡りが再び盛んになり、本覚寺から貞伝上人作と伝わる聖観音像を譲り受けて袰月観音堂が再建されますが、それは現在の海雲洞釈迦堂。その後、昭和30年代に入り、鬼泊に観音堂が再現されたことにより霊場が2分されました。つまり津軽三十三観音霊場21番札所は2箇所あるということになります。
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いにしえの鬼の岩屋に神立ちて 悪魔はあらず外ケ浜にも…
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