宮城県塩竈市一森山。一の鳥居(寛文3年建立の石鳥居。国指定重要文化財。額束には「陸奥国一宮」)。
表参道の石段(表坂202段)。
なかなかの急勾配で上から見ると怖い。別名は男坂・杉坂。
随身門。
狛犬。
左大神豊磐間戸命。
右大神櫛磐間戸命。
随身門左手方面にももう一つ石段の別口がありました。
手水舎。
名前入銅瓦板の奉納かぁ…悩める…地元だったらなぁ(笑)
長明燈(升屋燈籠。享和3年御影石で作り大阪から大船で運ばれたもの。仙台藩御用の米商人大阪升屋山片重芳寄進。)。
個性的な狛犬。
唐門。
古くから東北鎮護・陸奥国一之宮として朝廷を始め庶民の崇敬を集めて今日に至る鹽竈神社。
御祭神は別宮に主祭神の塩土老翁神、左宮に武甕槌神、右宮に経津主神を祀ります。
塩土老翁神は古くより航海・潮の満ち引き・海の成分を司る神として知られています。塩釜の地名も当社に由来。
創建年代は不詳ですが、平安時代初期、嵯峨天皇の御代(820年)に編纂された弘仁式主税帳逸文に「鹽竈神を祭る料壱万束」と記されており、厚い祭祀料を授かっていたことが知られています。
奈良時代国府と鎮守府を兼ねた多賀城が当神社の西南5km余の小高い丘に設けられ、その鬼門に位置し、蝦夷地に接していた当社が国府の守護と蝦夷地平定の精神的支えとして都から赴任してきた政府の人々に篤く信仰されたものと考えられています。
武家社会となってからは平泉の藤原氏・鎌倉幕府の留守職であった伊沢氏、そして特に伊達氏の崇敬が厚く、歴代藩主は大神主として務めてまいりました。
現在の社殿は伊達家4代綱村公から5代吉村公に亘り9年の歳月をかけ宝永元年(1704)に竣工されたもの。江戸時代以降は神宮と同じく20年毎に式年遷宮が行なわれており、氏子・崇敬者各位の赤誠により平成3年には第17回式年遷宮本殿遷座祭が斎行されています。平成14年12月に本殿・拝殿・四足門(唐門)・廻廊・随神門以下14棟と、石鳥居1基が国の重要文化財の指定を受けました。
左右宮の右手に主祭神である鹽土老翁神を別宮で祀ります。別宮は塩の神・安産の神として庶民の信仰を集めてきました。
本殿は素木造檜皮葺の三間社流造りで、拝殿は朱漆塗銅板葺入母屋造と好対照を見せており、別宮は本殿1棟に拝殿1棟、左右宮は本殿2棟に拝殿1棟と特徴的な造りとなっています。
ちなみに左右宮は式年遷宮にて屋根葺替・漆塗替工事中でした。
神饌所。
文治の燈籠。
文治3年(1187)奥州藤原3代秀衡の三男、泉三郎忠衡により寄進。
銅鉄合製燈籠。
文化6年(1809)伊達家9代藩主周宗が幕命により蝦夷地警備に出役し、無事任務遂行を感謝して寄進。
多羅葉。
神符守札所。
日時計。
寛政4年(1792)に神官藤塚知明によって奉納。
祈祷者控所御待殿。
祭器庫。
撫で牛。
祭務所。
舞殿。
御神木杉。
其之弐へ続く…『鹽竈神社 ~ 其之弐』
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