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鯵ヶ沢には高倉神社が多いですね。御祭神は高皇産霊命。 津軽三十三観音菩薩第八番。
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高倉神社・赤石城跡…『◆高倉神社…伝説では、大同2年(807)、坂上田村麻呂による創建とされる。十一面観音を祀る津軽三十三観音八番札所。◆赤石城跡…日照田集落の裏山全体を利用して築かれた大規模な城跡。段々山とも呼ばれ、蛇がとぐろを巻いた形に似ていることから別名・伏蛇城(ふくだじょう)ともいう。種里城に入部した大浦光信が明応元年(1492)に築城し、後の津軽藩主・為信が生まれた城とされている。このため高倉神社裏の主郭は嫡子館とも呼ばれる。』
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「澤山や朝日かがやく日照田を照らせたまふ観世音かな」
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鳥居右手…聖観音菩薩像。
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鳥居左手…見事な乳根が垂れ下がる巨大いちょう。
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推定樹齢800年、樹高29m、幹周8.1mで、昭和62年8月鰺ヶ沢町指定文化財。 
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鯵ヶ沢町指定文化財「記念物いちょう(1本)」昭和62年8月20日指定…『いちょうは、中国原産で、老木になると「ちち」という気根が下がる。母乳の出が思わしくない女性がこの気根に触れて、お乳がいっぱい出るように祈る風習がある。種子は銀杏といって食用になるが、雄花が咲く木には実がならない。樹齢約800年、幹回り8メートル。日照田高倉神社は、明治以前は飛龍宮と称され、大同2年(807)坂上田村麻呂創建伝承のある古い歴史を持つ。津軽三十三観音第八番札所である。秘仏本尊は十一面観音で、その昔若者の姿に身を変えて、この村の田畑の仕事を手伝ったという伝説が残っている。鯵ヶ沢町教育委員会』
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かつては難所と言われた場所ですが、現在は綺麗に整備された138段の急な階段を上ります。
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日照田高倉神社の創建は大同2年(807年)坂上田村麻呂が勧請したのが始まりと伝えられています。
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古くは神仏混合の形態で飛龍宮と称し十一面観世音菩薩を本尊とする津軽三十三観音霊場第八番札所として信仰を広く集め観音菩薩が若者に姿を変え農作業を手伝ったとの伝説も残っています。
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十一面観音像は神仏分離の際に神官が隠しておいたもので、上納されたのは本尊前にあった千手観音像だったといいます。その千手観音像は曹洞宗松源寺の観音堂に今も安置。
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なお、菅江真澄が次のように記しています。
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「左の山の笹原にも城柵のあとがある。右に大館、小館、佐久館というところがある山かげを行って、日照田村という山里を通るころ(中略)。山ぎわの杉群のなかに鳥居が見えるのは、大同年間(坂上田村麿東征当時に建立の意)の伝説がある観世音をまつった堂があるのである。」
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本殿前の狛犬。
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