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『致道館は、庄内藩酒井家9代酒井忠徳公が、士風を刷新して藩政の振興を図るために、文化2年(1805)に創設した庄内藩の学校です。当時は鶴岡駅前通りにありましたが、政教一致の趣旨から、文化13年(1816)10代酒井忠器公によって鶴ヶ岡城三の丸(現在地)に移されました。明治6年(1873)の廃校までのおよそ70年間、徂徠学を基本に、孝悌忠信を重んじて庄内武士道の根源を培い、多くの人材を輩出しました。その後、鶴岡県庁、鶴岡警察署、女子教育の明倫学校、朝暘第一・第二尋常小学校などに使われました。昭和26年(1951)に貴重な文化財として国の史跡に指定されました。』
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橋を渡って…
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表御門。
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扉の上にある横木に額をかけるための金具が2つあります。学校ができた当初、ここに「大名が建てた学校」という意味の言葉が、中国の古代文字にまねて書かれた額がかけられていたそう。しかし幕府に許しをもらう手続きに問題があり文化8年(1811年)の9月8日に外されたままになっています(現在は講堂内に安置)。
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廟門と聖廟。
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孔子(紀元前551-479)。『中国 春秋時代の思想家、学者、儒家の祖。字は仲尼、名は丘、中国の魯に生まれる。小役人から出発して、大司寇(現在の法務大臣)まで進んだが、見解の相違から職を辞し、諸国遍歴の後、故郷に帰り、門人の教育にあたった。その思想、言行は門弟により「論語」に集録された。なお、この絵は、山本珍石画伯により描かれたもので、論語の文字を以て全体が成り立っている。また、題賛(絵以外の文字の部分)は、孔子75代の直裔孔徳成先生によるものである。』
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孔子像(複製)。
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『この像は孔子第75代の子孫である孔健氏が、同家に伝わる孔子像をもとに上海交通大学青銅芸術研究所に依頼し制作されたもので、孔健氏より鶴岡市に寄贈されました。1994年10月30日寄贈。』
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顔淵像(模写)。
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『釈奠の時、孔子像とともに聖廟に飾られたものである。顔淵は、顔回とも言う。「一を聞いて以て十を知る。」と言われた孔門第一の賢者、高弟であった。像の原画は、湯島の聖堂に祀られている。』
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祭器。
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西御門。
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東構内には養老堂、朝句読の部屋、職員用の部屋なとがありました。現在は建物が残っていませんが、昭和58年に発掘調査が行われ、当時の部屋の位置や広さを正確に平面的に表しています。奥には東御門。
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講堂。
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『この致道館は、藩校としての遺跡をよく留めている全国有数のもので、しかも、戦災を受けることもなく存することは、日本の史跡としてまことに貴重なものであるとし、昭和26年6月9日、国の指定を受けたものです。藩校を創立したのは、庄内藩9代の藩主酒井忠徳で、士道が乱れ華美を好み横暴をきわめる弊風を刷新するのは教育にありと、大宝寺の地(現駅前通り・日吉町)に、文化2年(1805年)学問所を創設したのがはじめです。その後、文化13年(1816年)10代藩主酒井忠器は、政教一致をはかるため、居城に近い三の曲輪内の現在地に移し、藩の政務を処理する会所と学校と合わせた珍しい仕組みとして整備しました。致道館の教育方針は徂徠学を本旨とし、画一的な講釈を好まず各人の能力に応じた少人数を対象とする個別的な指導法をとったために、多くの小教場を必要とし、数多くの室が設けられたのです。明治維新により、明治6年(1873年)廃校となった後は、苗秀学校、鶴岡県庁、鶴岡警察署等に使用され、さらに、明倫学校、朝暘小学校等の校舎と変遷し、昭和40年から復元工事に着手、同47年から一般に公開されております。なお、致道館とは、論語の一説「君子学ンデ以テ其ノ道ヲ致ス」から名づけられたものです。』
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井戸がありました。
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講堂内へ。明倫学校の額が掲げられています。
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正面上にある額は大宝寺地内にあった旧学校時代より講堂に掲げられていたものです(重田道樹が揮毫したもの)。
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瓦と紋。
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棟札。
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旧致道館図。
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文化13年(1816)現在地に移った頃の図。現在は当時の3分の1程の敷地になっています。
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10代藩主酒井忠器公書。
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敬天愛人。朝陽第一尋常小学校の東体育館に掲げられていたもの。
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御入間へ。
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御台子の間には朝陽学校の模型(1/50)。
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御三の間。
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御次の間。
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御居間(御入間)。
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明治10年(1877)から明治17年(1884)まで鶴岡警察署に使用されていた講堂。
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小学校(昭和20年代)や結婚式場(昭和36年から)として使用されていた頃の西御門と講堂内部。
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華陽中台先生の碑。
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