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『山寺立石寺と根本中堂。山寺は、正しくは宝珠山立石寺といい、貞観二年(860)清和天皇の勅願によって、慈覚大師が開いた、天台宗のお山である。慈覚大師は、辺境の東北各地に、多くの寺院を建立したが、立石寺の創建には特に力を入れ、明るく正しい人間を養成する道場を確立し、鎌倉時代には、東北仏教界の中枢をなして、山上山下三百余の寺坊に一千余名の修行者が居住、盛況を極めた。戦国時代、山内が兵火をあびて一時衰退したが、江戸時代には、御朱印二千八百石を賜って再び隆盛を見、宗教文化の殿堂を築きあげた。現在の立石寺は、境内三十五万坪(115万5千平方米)の自然の岩山に、四十余の堂塔を配し、平安初期以来の山岳仏教の歴史を物語る、日本を代表する霊場である。正面の大きな建物は、国指定重要文化財の根本中堂である。延文元年(1356)初代山形城主・斯波兼頼が再建した、入母屋造・五間四面の建物で、ブナ材の建築物では日本最古といわれ、天台宗仏教道場の形式がよく保存されている。堂内には慈覚大師作と伝える本尊の木造薬師如来坐像をはじめ、文殊菩薩、毘沙門天などが安置され、伝教大師が中国から比叡山に移した灯を立石寺に分けたものが、今日も不滅の法灯として輝いている。織田信長の焼打で延暦寺を再建したときには逆に立石寺から分けたという、不滅の法灯を堂内で拝することができる。「あきらけく のちのほとけのみよまでも ひかりつたえよ のりのともしび」』
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根本中堂(堂内撮影禁止)。
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平安時代に創建され、ブナ材の建築としては日本最古とされる山寺宝珠山根本中堂の中に、慈覚大師が自ら彫り込んだとされる薬師如来坐像が祀られております。撮影は禁止なのでパンフレットの絵でどうぞ…もしくは次回の御開帳(50年後)にどうぞ(笑)
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招福布袋尊。身体を撫でながら願い事をします。
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芭蕉句碑と清和天皇御宝塔。
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山寺で最も古い石塔。
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ティーデマン先生記念碑。
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忠魂碑。
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水子供養。
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常行念仏堂(修行道場)。三間四面の宝形造りで正面に一間の向拝。
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江戸時代初期に再建。座禅や写経を行う修行道場で、参詣者も自由に修行ができるように準備されています。
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万物供養阿弥陀如来。
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霊屋。
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幸福の鐘。
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山門前にある鐘楼。
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除夜の招福の鐘として知られており、元旦には数千人の参拝者が幸福を願ってこの鐘をつきます。
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鎌倉時代の建立といわれる山門は、開山堂などへの登山口となっており、奥の院までは800段。もう200段以上上ったんだ(笑)
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さて行きますか!
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おっと、その前に腹ごしらえ…力こんにゃく!!
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黙々と登ります。
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出羽三山神社よりは全然楽な感じ。
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自然が気持ちいいです。
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姥堂。
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ここから下は地獄、ここから上は極楽という浄土口。
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何か怖いっ!
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西国三十三所観世音菩薩像。
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山寺夜行念仏講中によるものと思われる空也塔。
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預天賀地蔵。
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金剛寶地蔵。
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っていうか、いちいち写真撮って説明していると日が暮れます(笑)
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力こんにゃくをもう1つ食べておくべきでした。
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御手掛岩。奥の院まで730余段。
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修行者の参道。
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四寸道とは約14cm幅の参道で、慈覚大師の足跡を踏んで私たちの先祖や子孫も登ることから親子道とも子孫道とも言われています。
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金剛願地蔵。
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安然和尚像。
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風化していてわかりにく感じ。
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