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江戸初期に建立したと伝えます。
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宝珠盛岡山永福寺の末寺として建立。本尊の大聖不動明王は300年前に比叡山からきた伝教大師の自刻といわれ、霊験あらたかなことで盛岡市民から崇拝されてきました。
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愛染横丁は愛染明王像を有する真言宗宝林山愛染院に由来する町名ですが、明王像は愛染院が廃寺になった後に長福院に移されたといいます。
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明治26年(1893)頃、北山の聖寿寺の山門にあった一対の仁王像が葺手町の木村仁太郎氏の尽力で現在の場所に安置されました。この像は300年前に江戸で運慶の弟子によって作られた名作といわれています。
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また、山門も重要文化財として知られています。
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山門の十二支を紹介。
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子!
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丑!
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寅!
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卯!
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辰!
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巳!
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午!
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未!
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申!
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酉!
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戌!
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亥!
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境内にあった由緒…長いです(笑)
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『当山は斗米山長福院と称し、弘法大師を宗祖とする真言宗豊山派に所属しており、参詣者の願いに応じ無限の利益があると言われ現世の悩みを救う真言密教加持祈祷の祈願寺です。当院の御本尊は現世利益の仏、大聖不動明王です。不動明王は真言密教の最高法身如来の御化身仏で、この世の衆生の悩みを救い、導いて下さるために、大日如来がお姿を変えて御出現なされた仏様です。当院の御本尊不動明王は三百余年前に南部家の守護仏として奉安され、現世利益護摩法祈祷奉修の秘仏の御尊像です。皆様からは霊験あらたかな「お不動さん」と親しまれ広く信仰されております。現在は毎月の御縁日、三日、二十八日に御開帳(御前仏)致して家内安全、身体健固、厄難消除、病気平癒、商売繁昌、交通安全、その他諸願成就等を護摩法祈祷奉修により、皆様の御祈願を致しております。(奉修時間、三日午前十時、二十八日午前十時、午後二時)。尚、護摩法以外の御祈祷は常時受付致しておりますので色々お悩みの方はお気軽に御相談下さい。又御本尊不動明王の御誓願により、六道の世界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)救済の地蔵菩薩を安置致して、現世における家庭内の不和、災難、難病、身体虚弱等様々な悪因縁の原因ともなっている、供養を受けられずに闇にさまよえる、流産や中絶による水子の魂の浄霊のために、水子供養を奉修致しております。中絶後の悪因縁の解消のためにも、御本尊と御縁を結ばれ、罪障消滅を願われるとともに、水子供養の奉修をおすすめ致します。電話にても予約、受付しております。合掌』
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愛染明王像。
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『本像は盛岡城葺手町(現在の中ノ橋通1丁目)にある斗米山長福院(真言宗永福寺末寺)に伝わってきたもので、三面八臂(三つの顔に八本の腕)という、きわめて珍しい姿の愛染明王像である。一般的に愛染明王は一面六臂とされ、身体は真紅で、顔は三眼の忿怒相、頭上には獅子冠、手に五鈷鈴や弓矢などを持ち、摩尼宝珠で飾られた火焔円光に包まれ、宝瓶の上の赤蓮華座に坐している。愛欲や煩悩をそのまま菩提心(悟りを求める心)に変える力を持つとされ、諸願成就・恋愛成就の仏として広く信仰を集めた。三面八臂は馬頭観音像の影響と考えられ、また制作年代は室町時代とみられ、中世期に遡る大ぶりの愛染明王像として貴重である。また尊名から染物職人の職業本尊ともなり、愛染横丁の名とともに地域に親しまれた尊像として意義深い。現在は盛岡市中央公民館で公開されている。○構造:木彫寄木造・玉眼・彩色。○像高:72.5cm、総高:199.5cm。』
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享保14年4月2日の大火で、大沢川原から六日町、呉服町、肴町、神明町、紺屋町、八幡町、神子田等に延焼して1933戸を焼きましたが、葺手町は炎火を免れたといいます。また、明治17年の盛岡大火の際も河南地区の大半が焼失したにもかかわらず、お不動さんのお蔭で葺手町は焼けませんでした。
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葺手町と紺屋町の間には斗米山があり、大きな石が露出した花崗岩地帯でした。盛岡八幡宮一の鳥居の石材をここから掘り出したことが「盛岡砂子」に記載されているそう。この地の地鎮として祀られているのが斗米稲荷社です。
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斗米稲荷の別当は長福院で、御神体は仁王小路の長谷寺にあり、住職でもその御神体を拝することはできなかったと伝えます。
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