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感仙殿・善応殿へ向います。
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石段と灯籠。
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現在の善応殿・感仙殿・妙雲界廟。
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藩政時代の善応殿・感仙殿・妙雲界廟。
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善応殿にも妙雲界廟にも石段がありますね。
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明治維新までは感仙殿と善応殿にはそれぞれ拝殿・唐門、妙雲界廟には八脚門があり、各々独立された配置でした。善応殿の拝殿と連絡した御供所や2棟の鐘楼堂もありました。
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板碑。
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新修先廟記。
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経ヶ峯伊達家墓所の再整備事業の記念の石碑です。
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山門。
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善応殿。
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焼失以前の資料が乏しかったため、善応殿は天女ではなく、綱宗が好んだ鳳凰と牡丹を装飾に採用。
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善応殿は天女ではなく鳳凰。
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昭和56年秋に再建に先立って学術調査が行われています。
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墓室は石積みで囲んだ石室の内側に板材を組んで木室をつくり、その間に石灰を詰めた二重構造の墓室で、遺骸と副葬品は常滑焼の甕棺に納められていました。
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感仙殿。
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瑞鳳殿と同じく天女がおります。
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忠宗公の遺骸と副葬品は善応殿とは異なり、石積みで囲い玉石を敷き詰めた深さ165cmの石室に納められ、中世の供養碑と考えられる板碑数枚が蓋石として利用されていたそうです。
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無縫塔。
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妙雲界廟へ。
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感仙殿北側には9代藩主周宗公、11代藩主斉義公とその夫人芝姫の墓があり、総称して妙雲界廟といいます。
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4代藩主綱村公以降歴代の墓所大年寺(無尽灯廟、宝華林廟)は廟建築を廃し一定規格の板石塔婆に雨屋のみとなります。更に5代藩主吉村以降、夫婦の墓を並列することになり総称も3代藩主綱宗までの霊屋から御廟へと区別されます。明治初年伊達家は墓所の祭祀を仏式から神式へ改め、13代伯爵慶邦の墓所(茂ヶ崎)以降歴代墓所は土饅頭と称する小円墳へと代わります。
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9代藩主伊達周宗公の石塔(青龍院殿故陸奥國主紹山隆公大居士)。
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11代藩主伊達斉義公の石塔(曹源院殿故羽林次将正山榮因大居士)。
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11代藩主伊達斉義公夫人芝姫の石塔(眞明院殿心月珠泉尼大姉)。
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