イメージ 10
廻堰大溜池の畔にある戸和田神社。
イメージ 9
津軽富士見湖パーク売店の近くになります。
イメージ 8
「明治21年4月19日村中 十和田神社」とありました。
イメージ 6
イメージ 7
津軽富士見湖にまつわる悲恋伝説が拝殿内にあります。
イメージ 5
今から600年程前に鶴田町を統治していた清水城城主間山之守三郎兵衛忠勝は、白狐沢、高山方面にて狩をしており、高山で獲物を前に昼食をとっていたところ、東の方向にある隠里から煙が立ち上がっているのを発見します。
イメージ 4
その隠里まで馬をとばして行くと太右衛門の家でした。太右衛門宅にて馬を休ませて談笑していたところ、お茶を持って白上姫が現れます。間山之守は一目で白上姫と恋に落ちます。
イメージ 3
しかし翌年の秋、大溜池の堤脇に住んでいた豪農の権左衛門の媒酌にて琴姫と結婚することに。それを知った白上姫は失意のまま大溜池に身を投げます。姫の遺体は発見されませんでしたが、翌年の春、その遺恨は白龍となり、間山之守を苦しめます。間山之守は狂人となり琴姫を殺害し、自らも大溜池に身を投げます。この出来事を嘆いた白上姫の父らが白山姫神社と戸和田神社を建立したとか。
イメージ 2
水虎様を求めて訪れたのですが、このような伝説に基づき、龍神が祀られていました。『水虎様への旅~農業土木文化の時空』で紹介されており、御神体は自然石。
イメージ 1
ちなみに鶴の舞橋の休息所に設置されている案内板には以下のように記されています。
『白上姫と清水城主の悲恋物語。今から約600年前の春、野も山もしたたるような新緑に包まれまた中を清水城(現在の間山部落の一部である館の崎にあったという。)城主間山之守三郎兵衛忠勝は数人の若武者たちと共に白狐沢、高山方面で狩りをし、高山で獲物を前に昼食をとった。その時、東の方向にある隠里(廻堰字稲川)に煙が立ち上るのを発見した。日が落ちるには間があり、勢いに任せた間山之守三郎兵衛忠勝は隠里まで馬を飛ばした。草深い中にある目的の家は、太右衛門宅であった。疲れた馬に水を与え、主人と談笑していたところへ同家の息女である白上姫が茶を持って顔をみせた。丈なす黒髪、色白な容姿は清純な山百合を思わせ、間山之守は一目で白上姫を恋するようになった。その日から、間山之守は一人で狩りに出かけるようになった。雨の日も風の日も隠里の野山には二人の姿が見られた。こうして一年はあっという間に過ぎていった。ところが、翌年の秋、間山之守には当時、大溜池堤わきに住んでいた豪農太右衛門の媒酌で妙堂崎の半四郎の次女、琴姫と婚約が進み、間山之守はいつしか白上姫を忘れるようになっていった。そうとも知らぬ白上姫は、以前に約束した間山之守の正月用の晴着を縫うのに精を出していた。やがて晴着を縫い終わった白上姫は、サイカチの館(今の間山部落)清水城に通じる山道を急いだ。雪のちらつく日であったが、間山之守に逢いたい一心の乙女心には雪など少しも苦にならなかった。城に近づくと、普通の日と違って大変な人通りである。不審を抱いた白上姫は通りかかった人に聞くと、この日が間山之守婚礼の日と知らされた。手にしていた晴着が落ちたのも知らず、人目を避けて帰る足はいつしか大溜池の畔に姫を運んでいた。過ぎ去った日々の楽しい思い出が走馬灯のように脳裏をかけめぐり、今の我が身の惨めさがひしひしと感じられた時、水草が揺らぎ、波紋を残して白上姫の姿は水中に消えて行った。村人たちの必死の捜索も空しく、姫の遺体は発見されなかった。翌年の春小雨の降る日、大溜池に清水城へ向かって湖水を渡る白竜を見た人があり白上姫の遺恨が化身したものだと大騒ぎになった。この話を伝え聞いても間山之守は新しい生活の幸福におぼれて一笑にふしていたが、しばらくすると、夜毎に狂人の状態になり、藩士を呼び寄せては、切り捨てるようになった。ついには、愛妻の琴姫をも殺し、自らも城を抜け出し、吸われるように大溜池に身を投じた。このことを嘆いた太右衛門とサイカチ部落の人々は、一宇を建立し、来る年ごとに二人を供養したと伝えられ、供養のかいがあってか、それまで魚の居なかった溜池に、たくさんの「フナ」や「鯉」がいるようになったということである。やがて、この大溜池は津軽新田の水源地となり、戸和田神社は豊作の神としてまつられている。鶴の舞橋ステージの中央付近で手を叩くと"ビーンビーン"と反響音が聞こえてきます。もしかしたら、この音が白竜の鳴声かもしれません。』
イメージ 11
ブログ村ランキング参加中←クリック宜しくお願いします♪