新岡村は東は愛宕山、北は高地山、北西は杉沢森に囲まれた盆地で南は葛原村に接します。当村に通ずる古道には八幡から荒神山の丘陵を越えるもの、宮地・葛原から山城を経て入るもの、細越から山間を辿るもの、宮館・折笠外道森下を通って杉沢森の麓に出るものの4つがあり、杉沢森の麓の辺りを上新岡、中央部を下新岡、葛原へ通ずる南西端を山城といいました。
イメージ 1
天文年間(1532-1555)の津軽郡中名字に新岡とあり、現集落の中央部に下新岡館跡があります。津軽為信創業の功臣下新岡出雲(のち今勘解由左衛門)とその子小三郎信則が拠点としました。その一族本家筋は金、別家は今を名乗り、金為時の子孫といわれます。杉沢森の東端には上新岡館跡があり、室町期の大浦光信に関係深い上新岡但馬の拠点で、元来対馬氏。対馬氏は秋田仙北の大曲にあり、金沢の城主右京亮家光の重臣であったといいます。先祖は米内甚四郎。
イメージ 2
新撰陸奥国誌によりますと、明治初年には家数64で「田畑下の下。専ら耕耘すれとも、村中竹細工するもの多く、目籠笊の類を造る」とあります。
イメージ 3
ちなみに写真は新岡村の中心にあった山本商店です。趣あります。
イメージ 4
弘前の禅林街にある高徳院。長勝寺並寺院開山世代調によりますと、山号は新岡山とあり、天正年間(1573-15922)新岡村(旧岩木町)に創立されたとあります。
イメージ 5
かつての地(弘前市新岡)に高徳院開創之地に碑が建立されていました。慶長年間に弘前城下へ移っています。
イメージ 6
裏には「平成4年3月15日高徳二十七世睦仙代建立」とあります。横には寄進者名。
イメージ 7
ここにあったのかぁ…って思うと感慨深いものがあります。こういう碑っていいですね。
イメージ 8
ちなみに新岡地区田中家(個人所有地)の板碑は曹洞宗新岡山高徳院の遺跡から移されたとの伝承があり八兵衛様と呼ばれています。

ブログ村ランキング参加中←クリック宜しくお願いします♪