イメージ 2
宗徳寺山門の南側手前に位置。本尊は釈迦如来。もと耕春院末寺。寺禄20石。
イメージ 4
創立年代は不詳ですが、元々は深浦村にあったそう。開山は年室善寿、開基は弘前藩政初期の功臣で、2代藩主津軽信枚の家老服部長門康成。津軽一統志ではともに中興開山・開基。
イメージ 8
曹洞諸寺院縁起志によりますと、深浦村から堀越村へ移り、慶長年間(1596-1615)に弘前へ移ったとします。
イメージ 9
服部家は寛永10年(1633)から寛永13年まで続いた船橋騒動に関連し、康成の長子左近が津軽家を去り、このためそれまでの寺禄30石は召上げられ、4代藩主信政の寛文元年(1661)に20石の寺禄が下されたといわれます。
イメージ 10
イメージ 11
船橋騒動とは弘前藩の家中騒動です。信枚が江戸で召抱えた船橋半左衛門父子を伴い、3代信義が初入国したのは寛永10年で、この時から船橋氏は譜代の重臣である兼平伊豆・乳井美作らに無礼の所業があり、その後も船橋氏と譜代の家臣団との間で摩擦が繰返されました。
イメージ 3
同11年重臣兼平伊豆・乳井美作ら12名は藩に永の暇を請う一方、幕府にも目安状を出して船橋氏の追放を要求。同13年幕府の裁定が下り、船橋氏と彼に同調した乾四郎兵衛は伊予松平家へ、兼平伊豆と乳井美作は毛利家に御預けとなりました。康成は騒動の最中の同12年に病死。
イメージ 7
寺宝として為信・信枚・信義の三代までの藩主画像があります。
イメージ 6
弘前出身の日本画家、工藤甲人(1915-2011)作「滝坂道の夕日」。奈良県柳生街道の夕日観音。1981年第8回創画会展出品作品。父、母、兄の菩提を弔うために平成15年に寄進されたもの。
イメージ 1
イメージ 5
ブログ村ランキング参加中←クリック宜しくお願いします♪