弘前城植物園です。
三の丸になります。
最初に申しておきますが、題名の如く植物目当てではなかったのですが、痕跡はほぼ皆無であり、ただ散歩してきたようなものです。
植物以外を撮る珍しい奴(笑)
植物園の詳細は植物園のHP、綺麗なお花の写真は津軽ジェンヌさんにおまかせしましょう。
HPよりブログの方がタイムリーで参考になるかな。
「弘前城植物園」
第八師団の頃はこちらを参照。
さて、青森県師範学校は1945年11月に弘前の時敏国民学校(弘前文化センター付近)へ移転し(※青森県女子師範学校は朝陽国民学校(弘前大学医学部基礎校舎))、1946年9月に弘前城内旧陸軍第8師団兵器厰に移転(兵器倉庫を改造した校舎)。女子部も統合されて青森師範学校となります。
1948年4月に新制附属校(附属弘前小学校・中学校及び附属駒越小学校・中学校)を開設します。
かつての附属の名残りとしては、正門前に当時から存在していたというアカグロマツで、いずれ「弘前大学教育学部附属弘前中学校跡」の碑をここに建てる計画があるそうです。
1949年5月31日に新制弘前大学発足。
附属小中学校が弘前公園から移転したのは1965~1966(昭和40~41年)のことです。
こちらの地図は昭和34年12月現在。
私が生まれるよりもずっと前なのでイメージがわきません。
一方、植物園は昭和63年5月に三の丸一角に開園(昭和56年に財団法人弘前市公園緑地協設立許可、緑の相談所開設)。
現在の弘前大学教育学部附属中学校には校歌よりも愛される歌が存在しています。その歌は『根っこの歌』といい、そこで歌われている根っこ精神とは、植物園内に校舎があった時、校庭整備の際にどうしても抜けないイタヤモミジの切り株に由来しているそう。その切り株を結局誰が抜いたのかは不明ですが、恐らく相当な根っこ精神を持ち合わせている方でしょう(笑)
白神山地生態園。
知識がなければただの山道ですね(笑)
ロックガーデン。
植物園内で石の山をチェックする怪しい奴(笑)
太郎杉の幹。推定樹齢800年。
太郎杉は西茂森の禅林街、長勝寺前の市道中央に立っていましたが、やがて幹の上部が枯れ、地上約17m付近で切り落とされながらも生きていましたが、平成10年に残念ながら枯死。
シロクジャクがいました。
これまで公開されていたインドクジャクと入れ替わりに雄と雌各1羽が弥生いこいの広場から引っ越し。
今年の5月24日から11月23日まで公開されています。
開け!!
おっ!?
開いた♪
こっち向け!!
こっち向いた♪
何という美しさ。
大石武学流庭園(昭和58年築庭)。
武学流6代目を継ぐ外崎亭陽が築庭したもの。
その昔一世風靡した人面魚がいそう(笑)
花時計。
三の丸庭園(文化7年改庭。廻遊式枯山水)。
現天守閣造営の際、9代藩主寧親が三の丸御屋形に移り住むにあたり、江戸より庭師を招いて築庭したもの。
明治31年には石燈籠や庭石などの添景物の多くが運び出され荒廃しましたが、昭和58年に修復を終え、往時の姿に戻りました。
生垣見本園・バラ園。
植物園から見た辰巳櫓と杉の大橋。
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