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七戸城の築城年は不詳。
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昭和16年12月13日に国指定の史跡として指定を受け、現在は柏葉公園として整備されています。
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柏葉城とも呼ばれています。
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南北朝時代の南部政長の築城と伝えられています。
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作田川と和田川を外堀に見立てた天然の要害で舌状台地を巧みに利用した平山城。
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天正19年(1591)城主七戸家国が九戸政実の乱に加担し、羽柴(豊臣)秀次を総大将とする奥州仕置軍に滅ぼされて翌年に廃城。
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その後信直は七戸城の重要性に鑑み浅水城主南直勝に名跡を継がせ、慶長2年(1597)にはその長子七戸隼人正直時を七戸2千石の城主としました。
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直時の死後、正保4年(1647)盛岡藩27代利直の5男重政が後と継ぎますが、寛文4年(1664)重信が第29代盛岡藩主になったため、以後盛岡藩の直轄地となり、七戸に代官が置かれることになりました。
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本丸、二の丸、北館、下館、宝泉館、西館、角館が残っています。
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角館。
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本丸と北館の間の堀跡。
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角館向かいの北館にあったミニチュア模型。
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この場所に建立された七戸城東門は、文献史料や城の縄張り構造等の根拠に基づきこの場所に復元整備。門と塀の復元においては、参勤交代の奥州街道の松並木の松を利用。
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門の近くにあった稲荷の祠。
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この城門を潜って進んでいくと七戸町の花であるツツジを愛でることができ、更に進んでいくと花菖蒲園が広がり、花菖蒲園から更に進みますと城主が居城していた北館曲輪があります。
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なお、七戸城唯一の建築物遺構である城門が青岩寺の山門として明治6年に移築されています(2層の楼門建築でしたが老朽化のために上層部を撤去。間口も切り詰められています)。
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