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市街地の小高い丘にある天王神社は応永初年(1394)に当地へ勧請。七戸城跡左方の高岡に鎮座します。
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主祭神は牛頭天王。牛頭天王は我国における素盞嗚尊で、櫛稲田姫命、御子八王子を配祀。相殿として崇徳天皇・火産霊神を合祭ともあります。
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108段の男坂。
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女坂。
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境内には「安政6年(1859)正月吉日、浜中幾治郎・同善右衛門・同友吉・運送船福吉丸 与八」奉納の狛犬一対と、「発起人三上ツル・内山たき他6名」の寄進による石灯篭があります。
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社殿東方に高さ154cm程の碑があり、正面には南無地蔵願王大菩薩、横には宝暦十四年甲甲正月24日の紀年と、願主数名の名を刻んでいます。
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明治初期の神仏分離にて、一時期は須賀神社と名乗りましたが、程なく昔から親しんできた天王様の愛称に復し、七戸をはじめ近郷近在の人々からも広く信仰を集め今日に至ります。
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須賀神社の由来は素盞嗚尊が櫛稲田姫命を妃とした時に詠まれた「八雲立つ出雲八重垣妻籠に八重垣作るその八重垣を」という有名な神楽歌が大原郡須賀の里であったことに由来しますが、明治の神仏分離後の改称であり、それ以前は牛頭天王社、祇園神社、八坂神社ともいい、天王様や愛宕様と呼ばれ親しまれてきたというわけです。
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年代不明の黒漆の内御堂、享保3年(1718)、享保9年(1724)の納経札、宝暦12年(1762)、安永2年(1773)等の棟札を残します。また文久3年(1863)に境内に建立されたと思われる妙見堂の棟札も残します。
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現在の社殿は昭和31年建立。
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宝暦元年(1751)頃に伝えられた天王神楽は伊勢神楽の流れをくむ優雅な舞と哀調をおびた美しい調べで貴重な郷土芸能。
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天王神社拝殿の扁額にも華陽とあります。
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華陽についてはこちらを参照してください。
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