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弘前招魂社が護国神社として現在の地に遷されるまでの経緯はこちらの記事を参照してください。
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めちゃでかい鳥居。
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西堀方面にも鳥居がありますが、通路とずれているために潜ることがなく、存在感がありません。
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弘前招魂社を参拝する師団将兵の写真(明治40年)。
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明治37年に日露戦争が始まると第八師団からは2万人に及ぶ兵員が戦線に送られ黒溝台会戦で勝利を飾りますが、6300人の死傷者を出しました。
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明治39年には戦没者慰霊の招魂祭が行われます。弘前招魂社は昭和14年に政府から青森県護国神社の指定を受けます。
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『ここは平和の杜です。このお社は青森縣護國神社といいます。
青森縣護國神社は、津軽藩主津軽承昭公の思し召しにより箱舘戦争の戦没者慰霊のため、明治三年に創建され、明治四十三年三月に弘前招魂社として現在地に移築、昭和十一年八月青森縣招魂社となり、昭和十四年四月、一府県一社を原則とした内務大臣指定護國神社となったものです。
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 この神社には、幕末・明治維新以来、日清戦争・日露戦争・大東亜戦争など多くの戦いで、日本の平和と美しい山河や愛する家族を護るために亡くなられた、青森県出身二万九千百七十一柱の方々の御霊━「英霊」が神様としてお祀りされています。
いま、こうして私たちが平和で豊かに暮らしていられるのは、国の危機に際して尊い命を捧げられた「英霊」のおかげであることを、決して忘れてはなりません。
青森縣護國神社にお参りし、英霊に感謝の気持ちを伝えましょう。』
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青森縣護國神社「祭神銘板」
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『青森縣護國神社には、明治二年の創建以来、幕末・明治維新・日清戦争・日露戦争・大東亜戦争などの戦いで亡くなられた青森県出身二万九千百七十五柱(平成二十二年十月一日現在)の御霊(ご英霊)がお祀りされていますが、その全てのご英霊の氏名を表記した青森県版「平和の礎」が青森縣護國神社「祭神銘板」です。
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この祭神銘板(青森県版「平和の礎」)は、国の危機に際して愛する国を護り、郷土青森県と家族を護るため尊い命を捧げられたご英霊に感謝と敬意の誠を尽くし、その精神を顕彰し、継承していくための象徴として、また、青森県の歴史と風土の中で培われたご英霊の「平和を願うこころ」を広く内外にのべ伝え、世界の恒久平和を願って、当神社創建百四十周年を記念して設置されました。』
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平和の道標
『ふりかえってみよう、平和の原点━往事を思い感謝の心を━
いまの私たちは、平和で豊かな暮らしを当たり前のように思っていますが、今から百年ほど前は、決してそうとばかりは言えませんでした。
当時の世界は、国家の舵取りを誤れば、いつ西欧諸国に支配されるか分からない時代だったのです。
このような時代に近代国家としての産声を上げたわが国は、自らの生存と独立を護るため幾度か戦わざるを得ませんでした。
いまの平和と豊かな暮らしは、国の危機に際して尊い命を捧げられた「英霊」のおかげであることを、決して忘れてはなりません。
「私たちの今」と、どこかで必ず繋がっている英霊にあなたからひとこと「ありがとう」と伝えてください。』
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献燈。
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拝殿。
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神楽殿。
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本殿。
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社務所。
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軍艦津軽之碑。
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『黙々と まこと つらぬき 海に 爆せし 津軽乃将士 四百七十余』
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軍艦津軽の生涯。
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建碑首唱者の碑など。
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