イメージ 9

イメージ 6
白雲山鳥居観音と言えば埼玉百選の観光名所で、高さ33mの救世大観音があるのですが、姿形がまったく同じミニ救世大観音がここ青森県にあるのです。場所は川倉賽の河原。
イメージ 1
開祖平沼桐江作とあります。
イメージ 5
これは仏像彫刻家としての名であり、平沼彌太郎(旧埼玉銀行頭取)が本名です。制作者も同じ。
イメージ 3
「救世観音様の御得徳(由来)」
一心に観音さまの御名をお称え御祈願すればたちどころにその求める声を観せられて苦しみ悩みを救って下さると観音経の中に説かれ、正しくは「観世音菩薩」さまとお呼びしますが「観音妙智力能救世間苦」ともお示下さって「救世観音」とも申し上げます。
又、大変お慈悲深い御心から求める千差万別の人々のため三十三にも身姿を変えられてお出ましになられたといわれ、それを三十三観音様と呼んでいますが、このような観音さまの功徳力は広大無辺で心ある者、又なき者にも斉しく、み手を差しのべて下さいます。
阿弥陀さまが極楽で救って下さるのに対し観音さまは現世での救済の仏さまです。
お詣りすれば千徳が得られ次には影身に添って守って下され悪事災難を防ぎ子宝や寿命まで授けて下さるといわれております。
容姿端麗まれに見る慈眼、この救世観音像は地元講中の埼玉県入間郡名栗村白雲山の鳥居観音様に参拝したのが機縁となり開祖平沼弥太郎(桐江)から鳥居観音堂内に安置されている原型の複製を許可されて昭和50年7月現地賽の河原に建立され開眼法要が挙行されたものです。川倉賽の河原講中 昭和61年9月吉日 合掌 工藤与右エ門」とありました。
イメージ 2
慰霊塚もありました。
イメージ 7
イメージ 8
「昭和13年、国策に則り、青森県一円から結集して、旧満州国に開拓民として移住し、食糧増産と北辺の護りの担い手となり、汗で築き上げた第二の故郷の村を、敗戦により、すべての財貨を捨てて祖国へ引揚げることとなった。彼の地に不帰の客となった約半数におよぶ同胞の霊を慰め、永代供養すべく、茲に慰霊塔を建立する次第であります。昭和57年8月11日青森県開拓団慰霊塔建設委員会」
イメージ 4
ブログ村ランキング参加中←クリック宜しくお願いします♪