今回は冒険心を高めるため、少し古い地図だけを手にして、先日紹介した南田中の熊野宮から山神社を目指してみました。
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青いルートを見れば「ただ真っ直ぐ行けばいいだけじゃん」って思われるかも知れませんが、少々古い地図なのでそうはいきません。目印もないし、道も変わってますし、距離感がまったくつかめません(笑)
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地図からは想像できぬほど結構な距離を進んだところで、ようやく一の鳥居を発見できました。
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石柱には「村社 大山祗神社」とだけあり一瞬焦りましたが、木の陰に古い「山神社」の石柱も発見し一安心。
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鳥居を潜って上って行きますと、キャンプ場として整備されている自然の森という場所があります。
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キャンプ場内に親杉という巨木がありました。
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親杉は平川市尾上地域随一の巨木で、当周辺最初の植林と推定されているそう。樹齢は言い伝えで250年。若干大雑把ですね(笑)
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周辺にはいくつかの碑もあります。
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歌碑。
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更に上って行きますよー。
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到着。
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御祭神は大山祇神。 
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草創年月不明。
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慶長10年 (1605)、 津軽左馬守藤原建麿再建と伝えられます。
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明治8年、 本殿が組頭小野長九郎、 百姓総代佐藤喜助らによって再建。
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また同年氏子総代等により拝殿が造営。 
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古い伝説によりますと神社後方にある大石様にさるか神霊が秋田県鹿角郡申ケ野から白馬に乗って流れつき、 ここからさるか森 (猿賀神社) に鎮座したと言われているそう。
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山神社は原始信仰の拝所でしたが、仏教文化が入ってから明治初期まで「深砂宮」という真言の守護神を祭っており、明治の神仏分離令により大山祇神社と改称し今日に至るといいます。
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平安時代の終わり頃、奥州藤原氏(清衡)により猿賀・熊野堂に新山寺(新山本明寺熊野権現)が建立され、秀衡は猿賀神社を補修していますが、この頃には多数の山伏たちが笈を背負い、猿賀をはじめ金屋山の大石様・山神社で修行していたと考えられています。
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狛犬の後姿がキュート。
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本殿前の狛犬。
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本殿。
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