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日照田村から分村して成立した館前村(時期不詳)。なお、かつては建前館という丘城があった地と考えられます。
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町の入口にあった力石。力石は江戸から明治の時代にかけて、鍛錬及び娯楽として力試しが盛んに行なわれました。大概は60kg以上で、中には300kg以上のものもあるといいます。※この力石は紀年銘昭和。
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菅江真澄が深浦を訪れた際に「観世音をここでは例によって神としてうやまい、神主が神楽を奉納している。これがおわると、停泊している各地の船の舟子たちが集まって、浜の砂の上で法楽の相撲が行われた。」と記しています。きっと力自慢が多かったのでしょう。力石には力石という文字が刻まれ、持ち上げた人の名と年月日も刻まれたといいます。もちろん私は簡単に持ち上げることができました(嘘)。
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御祭神は軻遇突智命。
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享和3年寺社領分限帳及び安政2年神社書上帳によりますと、東部小津軽沢に明和3年再建といわれる貴船宮がありました。
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国誌によれば、後の神仏分離によって貴野神社となり、明治6年赤石村貴船神社に合祀、明治8年に復社。
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津軽神楽が奉納されるといいます。
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