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禅林街にある海蔵寺(かいぞうじ)。本尊は釈迦牟尼仏。
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天文3年、吉田村(旧岩木町賀田)に石見国出身の江山智永を開山とし創建。開基は大浦盛信とされています。
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明応年間、盛信の父光信が種里村(鯵ヶ沢町)に創建し、次いで堀越村へ移ったとも伝えられ、長勝寺開山の菊仙が江山の師であることから長勝寺末寺となりました。
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慶長年間に現在地へ移転し、寺領30石が給されます。
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明治3年に隣接する全昌寺(現在のなかよし保育園の場所。なかよし保育園は海蔵寺で開いた事業で、理事長は海蔵寺住職です。)を合併。境内にある鎮守堂の薬師如来像は東長町の豪商中田嘉兵衛の寄進で、蛸薬師と呼ばれて眼病に験があるといいます。海蔵寺では昔からタコを食べないそうです。
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あれ?合併?ってことは禅林街って32ヶ寺!?
いえいえ、全昌寺の代わりに山観(観音山 普門院)が入ったので33ヶ寺なんです。これで山観だけ他の寺とは少し違う配置になっている理由と、禅林街の真ん中に保育園がある理由がわかりましたね。
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武田源左衛門之墓があります。
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承応2~正徳2年(1653~1712)津軽藩士。櫛引孫次郎建貞の子。
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四代藩主信政公に取り立てられて、延宝年間、岩木川改修事業や新田開墾の総奉行に任じられ成功を収めています。
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貞享元年(1684)には元締役を命ぜられ、貞享の検地を担当。元禄4年(1691)には、五所川原堰の工事担当を命ぜられ、藤崎村から五所川原村まで長さ1824間、幅平均2間半の堰を開通させ、また、金木新田の開拓や治水に力を振るって数々の功績を挙げました。信政が没して、信寿が5代藩主となって間もない正徳2年(1712)に切腹。
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