浄心寺坂(於七坂)の坂下にあります。
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開基は円栄法印。本尊は聖観世音菩薩と釈迦牟尼如来。
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天正年間(1573年~1592年)円栄によって創建。江戸33観音第11番札所。 
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拝殿左に白龍弁財天があります。
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八百屋お七の家がこの寺の檀家であったと伝えられ、境内にはお七の墓があります。寛政年間にお七役で名を馳せた四代目岩井半四郎によって建立。
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八百屋お七について2つの案内板がありました。
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「お七については、井原西鶴の『好色五人女』など古来いろいろ書かれ語られて異説が多い。お七の生家は、駒込片町(本郷追分など)で、かなりの八百屋であった。天和の大火(天和2年(1682)12月、近くの寺院から出火)で、お七の家が焼けて、菩提寺の円乗寺に避難した。その避難中、寺の小姓の佐兵衛(または吉三郎)と恋仲になった。やがて家は再建されて自家にもどったが、お七は佐兵衛に会いたい一心でつけ火をした。放火の大罪で捕らえられたお七は、天和3年3月29日火あぶりの刑に処せられた。数えで16歳であったという。三基の墓石のうち中央は寺の住職が供養のため建てた。右側の寛政年間(1789~1801)岩井半四郎がお七を演じ好評だったので建立した。左側のは近所の有志の人たちが、270回忌の供養で建立したものである。文京区教育委員会 平成14年3月」
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「このあたりは昭和39年8月1日施行の新住居表示によって白山の一部となるまでは『指ヶ谷町』と呼ばれていた。その町名の由来について丙戌書上(鳳闇寺支配正宝院)は『町名指谷と相唱候儀、小石川村東の方凡五町程の場所字指谷と古来より申候間、右唱より町名に相成候儀と奉存候』云々と述べている。しかし、『指ヶ谷』の名の起りについては不明である。なお、旧指ヶ谷町の東北端に位置したこの南縁山円乗寺は元和6年(1620)宝仙法印によりて開山された天台宗の寺院である。境内には芝居などで有名になった八百屋お七の墓がある。寺小姓の左兵衛という美少年と恋におちいったお七は、吉三郎なる無頼の徒にそそのかされて我家に放火した。放火は未遂に終ったが、すぐ吉三郎と共にとらえられ、天和3年(1683)3月29日火刑に処せられた。生年16であったと伝えられている。文京区役所・文京区観光協会」

三界萬霊塔。
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六地蔵尊。
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御詠歌「観音のおしえのままに導かれ ただ円かれとみ船にのるらん」
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