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小泊村は弘前藩領でした。
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江戸期を通じて弘前藩の城米積出し、諸国物産の移出入が行なわれる港湾として重要でした。
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弁天島の入江の海中には船留めの岩穴が残っているとか。
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小泊神明宮。御祭神は天照大神。※(下の写真は社務所)。大祭新暦4月15日、旧暦8月15日。
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明治初年の神仏分離令により飛龍宮より分立。
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延宝元年(1673)寄進の黒漆塗龍頭権現ほか、庚申塔などがあります。
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馬かわゆす(笑)
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最初の鳥居から遊歩道となっており、かなりの距離があります(社殿の近くまでは他の道から車で行くことも可能です)。
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そういえば海岸沿いにも歩道がありました。弁天崎方面へ行けると思います。たぶん(笑)
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西方山頂の柴鼻にある神明宮は明和3年(1766)建立と言われますが、新撰陸奥国誌によりますと「何の比の草創にか詳ならす」とあり、明治6年6月に相殿として稲荷社を遷し祀りますが、のちに現在地の稲荷山に移されます。
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貞享4年の検地帳にみえる観音堂は藩政時代は神明宮境内に祀られていましたが、寛永10年(1633)再建されて、江戸後期からは飛竜宮と改称、明治初年より本尊聖観音像は海満寺に移されて堂は取り壊されたといいます。
その他資料より…『寛永10年権現崎分社を兼ねて飛龍宮となる。明治3年信者たちにより現境内に神明宮建立、神仏混合廃止令により、明治3年飛龍宮と神明堂を合併して、主神を天照大神として神明宮が誕生したという。(中略)参道には江戸時代後期の豪商越後屋権十郎、(庄屋、問屋)池田専兵衛が延享四年三月石塔を奉納。(中略)龍頭獅子が祭られている。飛龍権現の守護神として神楽等には村内を払い清めて廻る。漆塗りの黒色のグロテスクな龍頭である。昭和51年社務所の火災で頭部の一部が焼けたが現在は金箔の龍頭獅子として、下顎部も修復され保存されている。寛永元年小泊村工藤道仙、市浦村字磯松村佐藤幸衛門の寄進である。』
『寛永10年権現山分社を兼ねて飛龍宮となった。飛龍宮は飛龍大権現を祭神とし、三十三観音のうち六、七、八番(鰺ヶ沢湯舟、北浮田、日照田)をはじめ、この近辺では十五番薄市、十六番今別、そして十八番の小泊と、昔は10社におよんでいた。享和3年の寺社分限帳によると、小泊は飛龍宮となっている。飛龍権現は「飛滝権現」で、「那智滝宮観音」の異名が訛ったものだという。(中略)…滝(水)に縁がある神は、治水、利水神に発展し、海岸の小泊でもこれにふさわしい飛滝神を祀ったものだろう。安政二年の「納経帳」では、「飛龍大権現」神主尾崎伊賀となっている。神明宮の権現様は、飛龍権現の守護神として、神楽のときなどには村内を払い清めるために回って歩く。』
『御祭神天照皇大神。例祭日4月15日。延寶八年村中千手観音者再興。寛永10年観音堂在建。寶暦九年飛龍宮一宇。社司尾崎壹岐。天保15年村中安全之為神楽執行仕候。先祖作十郎禰宜代より代代社務仕來候。明治三年神仏混淆御廃止に付神明宮と改む。』
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本殿。
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摂末社。
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神明宮入口にある柴崎城址の看板。神明宮は安東氏が南部氏に追われ蝦夷地に撤退の際に最後に立ち寄ったと伝えられている柴崎城址内に鎮座。
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村域西方柴鼻にある柴崎城跡。安藤氏最後の拠点。
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嘉吉2年(1442)十三湊を南部義政氏に攻められた安藤氏は小泊「柴舘」に撤退。翌年には津軽海峡を渡って北海道に敗退したとされます。安藤家三段構えの城(福島城、唐川城)の背水の陣。自然の地形を利用して、後ろには大澗という海辺を控えているのが特徴。
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確かに山城の造りに相応しい形を残しています。
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この道を行けば柴崎城跡の標柱があるのですが、物凄い蜘蛛の巣地獄にやられまして、私も柴舘から敗退…(笑)
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この神明宮から更に遊歩道が整備されており、様々なものが見られるらしいのですが、結構な距離があったので断念しました。いずれリベンジできたらと思います。尾崎神社行きたいなー!
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※遊歩道にある主なもの。中泊町パンフレットより。
・小泊弁天宮
・舫岩
・大澗海岸の洞窟に祀られている「恵比寿宮」
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・旧大湊海軍警備府小泊防備衛所跡
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・南灯台
・北灯台
・木造の徐福像が祀られている飛龍大権現(尾崎神社)
・土漂ヶ浜
・経島
・羅漢石
など。
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