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石碑には二柱神社。
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鳥居の神額には熊野宮。
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水分(みくまり)神社の碑。
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一般に神仏習合時代の水分神は地蔵菩薩の垂迹とされ、金峰山の蔵王権現に属する神社として修験道の行場の一つとなっていたそう。由緒によりますと歴代の地頭代が崇敬し、吉野朝時代には吉野方の残党が吉野水分神の分神をここに奉遷し、三嵩山蔵王権現として信仰されてきたもの。密かに南方敗北を計ったといいます。
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石段を上って一の鳥居付近…
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そしてそこから二の鳥居まで若干距離があります…見えてきました。
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森に囲まれており境内は暗い感じ。
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社殿前の石段。
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たいそう立派な馬が見えます。
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灯籠も大きいです!
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猿賀神社とまでいかなくとも結構な大きさですよ。
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狛犬もまた大きい。
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しかも個性的!
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かっこいいですねぇ。
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こちらはかわいい狛犬。
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拝殿には両社宮とありました。
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御祭神は伊邪那岐尊、伊邪那美命、水分之神。
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草創年月不詳。
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言い伝えによれば、 大同2年 (807) 8月、 坂上田村麿呂が猿賀神社再建の折り、 余材を以て当社を造営したと云います。
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本殿。
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本殿横の末社。
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五訓の森。帝国在郷軍人会町居村分会が昭和8年に建立(※五訓:忠節→松、礼儀→梅、武勇→桜、信義→椹、質素→杉)。陸軍中将軍西義一書。在郷師団長の尊称を持ち、町居村長を務めた竹村由雄氏発案。元々は集落内の溜池にあり、後に移転したもの。
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拝殿より参道を見下ろした図。
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その他、石碑や摂末社等。
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青森県神社庁より…「鎌倉時代、曽我氏が津軽の地頭代として入部以来、歴代の地頭代の尊崇の念甚だ篤く、奉謝の誠を尽くした。吉野朝時代には、吉野方の残党が吉野水分神の分神を此の地に奉遷し、三嵩山蔵王権現として秘かに南方恢復の壮挙を計ったように見受けられる。天文年中(1532-1555)、津軽の大守となった津軽為信公が父守信を失って一人となってから、当地の郷主町居飛鳥に養育されて、約5年在住し、熊野大神と蔵王権現を信仰し、早くから津軽統一の誓いを立てていた。」
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延宝9年(1681)10月調べの当宮神主山伏行人の覚えには、古来より熊野宮建立の跡有り、神主は齋宮太夫と云い、由緒詳細は不詳ですが、いずれにしましてもかなり古い時代からこの地にあったと考えられ、町居地区の産土神として尊崇されてきました。
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津軽為信公が当地の郷主町居飛鳥に養育されたという伝説を持つ歴史ある神社なのですね。なお、町居飛鳥の墓(五輪塔)は集落中央の墓地隣りのりんご園の一角(葛西豊治家)にあります(新旧五輪塔があります)。
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こちらは末社ならぬ…
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抹茶(笑)
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美味しそうな抹茶池ー!
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再訪記事:『町居熊野宮(平川市)

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