安政2年(1855年)8月15日に建てられた追分碑(能代道が開けた大正4年に刻み加えています)。
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右大間越通、左赤石沢目通。地元民以外には今でも役立つ追分石ですね。
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今回紹介します曹洞宗松源寺は左です!
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山門をくぐると急な勾配。
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舗装されていますが積雪時は車で上るのも厳しいとか。
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高さを見ようと坂の途中から下を見下ろすと…
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吠えるどころか、微動だにせずひたすら上を見ています…切ない表情(笑)
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景色のいい高台ですね。この鐘楼堂からの景色は素晴らしいです。
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鐘楼堂は大正10年、檀家お石工によって建設。
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現在の梵鐘は昭和24年に鋳造(現在は傷みが激しく叩けません)。
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このように門形式の造りが素晴らしいのですが、こちらも石の痛みが激しく、現在は通り抜けを禁止しているようです。
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しかし噂では近い将来に本堂も含めて建て替えが行われるとか。
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境内は中世の赤石館跡で、土塁の一部が僅かに残っています。
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松源寺(かつては松源院)は津軽家菩提寺大三世の隠居所として天正2年(1574年)に草庵を建てたのが始まり。明治2年に赤石山松源寺とし現在に至ります。
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二代藩主津軽信牧の側室が死去した際、松源院四世の和尚が葬主を勤めた縁により津軽家三代藩主信義の室、慶林院の母心悦清安大姉の位牌を安置し、山号を三嶽山と号する寺院に。
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鯵ヶ沢町指定文化財として板碑供養塔三基があります。
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右から種字キリーク(阿弥陀如来)、種字サ(観世音菩薩)、種字サ(観世音菩薩)。
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南北朝時代のもので、当寺裏山の清安寺跡にあったものだとか。
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三嶽山清安寺は赤石館(対馬弥右衛門築造)の一角にあったお寺で弘前城築城(慶長16年(1611年)鷹岡城築城)により、藩命で城下茂森禅林街に移転。ちなみに清安寺は太宰治の最初の妻小山初代が眠る場所。
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その他天然記念物として黒松1本とけやき1本がありました。この寺は弘前城と同じ時に建立されたとされ、その時の記念樹らしいです。よって樹齢400年を超えています。
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昭和56年建立の童心地蔵尊。
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木鼻の獅子は正面を向いています。
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菅江真澄は『外浜奇勝』にて「阿香委師(赤石)の宿を出て貴能美椰にまうで、松源庵といふ寺の前より日照田村にかかり」と記録しています。
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ちなみにこちらのお寺はHPを製作されており、その中にいにしえの姿の写真や境内の発掘調査、埋蔵文化財の写真も掲載されておりました。是非ご覧あれ。
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