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本尊は十界曼陀羅。もと本満寺(現京都市上京区)末寺。
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正徳元年(1711)の寺社領分限帳によりますと、天文2年(1533)賀田村(旧岩木町)に創建されて、堀越村を経て、慶長16年(1611)弘前寺町へ移り、正保年間(1644-1648)に現在地へ。
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開山・開基は不詳。重宝錦嚢(受源院蔵)によれば、山号は法働山で開山は京都本満寺衆徒玉持院日尋ですが開基は不詳。
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2代藩主津軽信枚時代の慶長17年高坂蔵人の乱に関わり、いったん廃寺となりましたが、同19年日正によって再興。
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津軽一統志は藩祖津軽為信の招きに応じて法立寺の住持となった妙覚院日律が、本山の本圀寺(現京都市山科区)より許されてもってきた妙法山本行寺の寺号を、後住の日教が法立寺を廃して使用したと述べています。
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このため法立寺の一時廃寺と、慶長17年といわれる本行寺の創立は一体をなし、それまでの法立寺は本行寺となり、法立寺がのちに復興されたと思われます。ちなみに津軽一統志は法立寺を本圀寺末寺とし、日尋を本圀寺衆徒としています。
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現在の本堂は平成11年頃に新築されたもの。また、少子化傾向を鑑み、同16年永代(無縁)供養塔を建立。かつて塔頭として本迹院、南栄院、中里弘法寺、藤崎法光寺、大鰐日精寺、金木妙乗寺を擁していました。
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境智窟 本迹院は境内北側、南栄院の西に位置。本尊は十界曼陀羅。
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正徳元年(1711)の寺社領分限帳に法立寺寺庵とあります。重宝錦嚢(受源院蔵)によりますと、寛文2年(1662)創建。新撰陸奥国誌は正保2年(1645)法立寺10世日運の草創としています。
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現在の本堂は昭和56年に完成したもの。江戸時代の仏師法橋運長の鬼子母神像があります。長髪の母子像で、吉祥果を子がもっており、非常にユニークな表情。
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南栄院。日蓮宗。本尊は十界曼陀羅。もと法立寺塔頭。正徳元年(1711)の寺社領分限帳に法立寺寺庵とあります。
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寛文4年(1664)創建で、開山は本山12世日成弟子南栄日浄上人。
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弘藩明治一統誌によりますと日成を法立寺12世としています。
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津軽藩刑場(弘前市取上)より移転されたお題目供養塔が祀られています。
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