MEDIA INN城東店から熊野宮まで歩いてみました。
イメージ 2
堅田村はかつての和徳村地内で、羽州街道沿いに発達した集落です。道端にあった百万遍。
イメージ 1
和泉の追分石。
イメージ 12
イメージ 22
「右 猿賀黒石通り」「正面 進修小学校通り」に分かれます。
イメージ 23
標柱は擦れてよく読めませんでしたが昭和11年のものらしいです。
イメージ 24
進修小学校通り方面へ向うと地蔵堂がありました。
イメージ 25
優しい御顔。
イメージ 26
更に進むと進修児童館があり、その前に進修小学校跡の碑があります。
イメージ 27
現在の児童館の場所が進修尋常小学校跡地。
イメージ 3
明治9年に富田小学が開校し、のちに永孚小学と改名。明治20年に西田小学校、百田小学校、俵元小学校の3校と合併し撫牛子村に進修尋常小学校が創立。
イメージ 4
明治25年に明誠、静修、進修の3尋常小学校に分裂し、堅田村には進修尋常小学校が置かれますが、昭和14年に弘前市和徳尋常小学校が併合。
イメージ 28
更に進みまして、辿り着いたのは堅田熊野宮。
イメージ 5
神明鳥居と明神鳥居。
イメージ 11
創建立年月不詳。
イメージ 13
御祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命。
イメージ 14
青森県神社庁によりますと、「熊野奥照神社、上古斧杭より、扇庄に遷座の時当社地に暫く休み給ひし、神興掛石と云う大石あり、今に存せり当地に社殿を建立して以来産土神社として深く崇敬せられて年々の祭事絶えず今日に至る。」とありました。
イメージ 15
御道書明細によりますと長利薩摩が社司を務める熊野宮があります。
イメージ 16
弘藩明治一統志によりますと、やはり創建は不詳ですが、御祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、速玉男神、事解男神で、弘前城下田町の熊野本宮大権現の分霊として創立されたと伝えられ、明治9年に村社に列しました。
イメージ 17
イメージ 18
拝殿の横には薬師宮がありました。
イメージ 19
イメージ 20
イメージ 21
拝殿内にある立派な御神馬と獅子頭。
イメージ 10
本殿と本殿前の磐座。
イメージ 9
イメージ 8
古川房雄先生頌徳碑。
イメージ 7
境内の横には墓地が連なっていました。
イメージ 6
ポチッとクリック宜しくね♪
https://localeast.blogmura.com/aomori/