標柱より。
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当初は、岩木川原も含み、山師や木場人足が住むほか、造り酒屋などのある商工業の町で、人足の気性の荒さや川の氾濫から「荒町・阿羅町」と書かれました。寛文五年(1665)までは江戸への道筋で、南北の町並みを江戸町とも呼びました。
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暗渠ではなく開渠があるのですが一見川が流れているようには思えません。
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一応橋もあったのですがこのような形状だったので気付きにくかったのです。
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しかも家の真下を通っているという!!
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現在はわかりやすい(趣のない)普通の橋に変わってしまいました。
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この堰は茂森町(禅林街・常源寺坂方面)から流れてきて…
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西濠手前で二つに分かれて一部が西濠へと流れ込みます。
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岩木川は真土部落で二筋(駒越川、樋ノ口川)に分かれていました。弘前城築城時には現在の岩木川を駒越川、西濠を岩木川(現在の岩木川から支流を引き込んだもの・樋ノ口川)と呼んでおり、岩木川が城の外濠の役割も担っていたのです。
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二階堰は昔は幅37m、深さ5m程もあり、渦を巻いて流れるほどの淵でした。昔、岩木山へ参詣に行く団体がここを通るうち、先達(先に立つ案内人)がこの淵に馬もろともに落ちて沈んだことから先達ヶ淵と呼ばれるようになったという伝説が残ります。
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先達ヶ淵は現在の新町坂(荒町坂)付近。詳しくはこちらを参照してね♪
話を戻して…
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この家は旧岩木川の上に建つ家なのですね(笑)
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