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御祭神は月夜見尊、豊受姫命。 
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月夜見神社の創建は延宝7年(1679)に勧請されたのが始まりと伝えます。
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天和2年(1682)観音堂が建立され聖観音像が安置、その後神仏混合して禅宗正徳院と称していました。
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正徳3年(1712※もしくは正徳2年)社殿・堂宇など再建し、寛延年中(1746~1751)にはそれまで19番札所であった飯詰観音堂に代わり、津軽三十三観音霊場第12番札所に選定されて広く信仰を集めます。
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その後、正徳院は廃れましたが蓮川観音堂は多くの参拝者が訪れ賑わいました。深浦町の円覚寺社人工藤近江が別当として観音堂を管理していたそう。
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明治の神仏分離令で月夜見神社となり、明治6年に郷社に列し、明治40年に神饌幣帛料供進に指定。
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昭和32年の火災で多くの建物の、社宝、記録など焼失しましたが、中本尊である聖観音像は大木のおかげで類焼を免れ、更に神聖視されるようになったそう。
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広大な社務所は五間屋敷と呼ばれていたとか。
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観音堂の周囲には三十三観音の石造が並びます。
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月夜見神社社殿内に飛龍大権現の神額が残っていました。
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国誌によりますともと飛龍宮で明治3年に仏像を弘前最勝院に納めて月夜見神社になったといいます。
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獅子頭がありました。獅子頭を津軽では権現と称します。津軽ばかりでなく南部地方でも獅子頭を権現と言います。また獅子舞をお神楽(山伏神楽)ともよび、この呼び方は東北から関東にまで広く及んでいます。獅子頭を魔除けとして祀っている神社が多いそうです。
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御詠歌「野をも越え 里をも行きて 眺むれば いつも妙なる 法の蓮川」。
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月夜見神社の近くの清川には弘前長勝寺12世徒伯開山、蓮川村を開いた蓮花田村小山内作右衛門が貞享3年に開基と伝える曹洞宗瑞光山全竜寺があります(※延宝3年小山内作右衛門草創とも伝えます)。
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出精川沿いにその全竜寺方面へと向うと蓮川虫送りの虫がいました。
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虫送りは昔からの縁起物。五穀豊穣や無病息災を祈願します。
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集落で約100世帯ほどの家庭が持ち回りで作っていましたが、最近は製作者がいなく、地区の有志が製作しているそう。
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津軽地方では部落の田植えがすんだサナブリ休みに大きな蛇の形を藁でつくって、笛、太鼓ではやしながら部落中を回り、村外れの木にかけておきます。
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