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江戸期は岩木川左岸の城下の飛び地。岩木川船渡場から北西の鯵ヶ沢街道(西浜街道)沿い。正保3年の津軽弘前城之絵図では町割りがなく、秋田領へ出る本道と記されています。寛文13年の弘前中惣屋敷絵図では町内の北東に屋敷割りがあり14軒の町屋が見えます。延宝5年の弘前惣御絵図では南西側に御蔵屋敷(石渡御蔵)があります。元禄13年の町割帳に浜ノ町と見え、宝暦6年では御蔵町。文化6年の町割帳では岩木川方面から順に御蔵町1~3丁目、蔵屋敷の東に相模屋、西に西沢屋という商家があります。
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天和元年に石渡橋として架橋していますが、後に何度か流失しているようです。
明治以降は西浜街道として商店や大工、桶屋、鍛冶屋などの職人が住み、近年までこみせが残る古い町の面影を残してきました。
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標柱より。
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参勤交代のとき、元はここを経て鯵ヶ沢に至る西浜街道を通って、秋田領に向かっていました。町名は、西浜に通じる街道筋にちなんだと考えられますが、宝暦6年(1756)には藩の蔵屋敷が建てられ『御蔵町』とも呼ばれました。市内では数少ない「こみせ」が残る地域です。
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熊野宮。
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御祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命。 
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元禄15年(1702)の社堂縁記に寛文8年(1668)の創建とあります。
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また、安政2年の神社微細調社司由緒書上帳によれば、「萢中村(現在の浜の町の一部) 熊野宮一宇、 右者寛文8年9月、佐々木吉右ェ門、及び村中にて建立。 然も建立の故は不明」 とあります。 
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この熊野宮は貞享4年検地水帳によれば市太夫抱えの熊野宮とあり、明治初年の国誌によれば浜の町、萢中村、鳥町村の鎮守神です。
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境内末社として、 旧鳥町村産土の加茂神社、 旧槌子町の天満宮、 浜の町の稲荷神社が移されています。
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熊野宮との関連はわかりませんが亀屋のたこ焼きの薬寿観音。
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弘前市指定文化財に江戸末期の豪農の住宅「旧石戸谷家住宅」というのがあります。これをどうしても見つけることができず。もしかして熊野宮のところにあったこちらの建物でしょうか。もしそうだとしたら…今は雪捨て場になっています笑
昔、熊野宮を訪れた際、立派な家だなぁと思って1枚だけシャッターを押していました。※将来的な復元のための解体保存中とのこと。堀越城跡の隣接地に移転・復元されるようです。
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