寺伝によりますと、国上寺は推古天皇の18年(610)、国家北門鎮護のため、聖徳太子の命を受け秦川勝公が阿闍羅山上に伽藍を造営し、智者大師附弟圓智上人不動明王、両童子を刻して安置して開基し阿閣羅山不動院と号したのに始まります。
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建長6年(1154)、北条時頼公が本尊ならびに法具を現在地に奉移し、三森山不動院古懸寺と改称し、鎌倉将軍数代の祈願所となりました。
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天文5年(1536)、お堂、坊舎を造営、天正16年(1588・もしくは天正17年)、津軽為信公が国上山不動院古懸寺と改め、鎮護国家、津軽家領域安泰のため、さらに仏殿、山門、護摩堂、大師堂などを造営し、津軽家歴代の祈願所としました。
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2代目津軽信枚公の頃には古懸山不動院国上寺と改称し、直筆の額面を賜り厚く信仰されたといいます。寛永17年(1640)3代信義が寺領を200石とし、修験五坊に各15石を与えたそう。
明治4年(1871)、廃藩のため寺領地、寺録を奉還。
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明治26年(1893)に本堂並びに仏堂を焼失(なお不動明王はその年に復元)。焼失を免れた護摩堂を本堂として、昭和54年、現本堂建立まで寺務を執行しました。
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不動明王は座っている姿から「座り(ねまり)不動」と親しまれ、1体の木から造られた津軽三不動尊の内の1つ…っていうか座っているのって珍しい!?また「汗かき不動」とも呼ばれていたそう…汗かきは珍しいですね(笑)
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この不動明王様が汗をかくと領内に異変が起こる前兆と伝えられ、国日記に数多くの記録が残され、その報告のたびに祈祷・湯立神楽の執行が命ぜられたといいます。
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2代目津軽信枚公が参詣した際に汗をかいており、その時に弘前城が落雷で焼失しました。ちなみに汗は金属の外気の変化で結露したもの。
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「古懸」の由来は、昔鬼神のお松という山賊が徳一という子を生み、エズコの中に入れて松の枝に掛けておいたのが「子掛」となり、現在の「古懸」に変化したと伝えます。なお、徳一は後に東国の偉いお坊さんになったとか。
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脇壇にはみかえり不動尊が安置されているほか、棟方志功が昭和32年に描いたという不動尊も飾られています…って、志功の作品の写真見切れてた(笑)
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大きなオシラサマ。
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弘法大師像の前には「四国八十八ヶ所霊場お砂踏み参拝所」があります。
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護摩堂。
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位牌堂。
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池と弁天様。
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最後に余談ではありますが、碇ヶ関の温泉町、湯の沢の温泉を昔は鬼の湯といったそうです。山奥に住む大人が入りに来たのでこう呼んだといいます。
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不浪寄八幡宮」の記事。

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