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大清水、門外方面から県道128号線を進み川を渡ります。
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川を渡ったところに百万遍があり、更に進むと左手に保食大神とそばの矢車があり、丁字路を左折してアジアンカフェの向かいに金峯神社があります。
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貞享4年検地水帳によりますと村中抱えの八幡社地と座王堂地があります。
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国誌によれば明治初年に金峰神社があり、御祭神は広国押武金日命。
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慶長4年(1599)の勧請。
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拝殿横と本殿。
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相殿として明治5年に松木平村から遷座した稲荷神があります。
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昭和6年旧6月14日拝殿新築記念碑。
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庚申塔など。
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本殿の真裏に末社がありました。
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池に囲まれた祠。旧座王堂でしょうか。竜神が祀られています。清水森だけにここにも座頭石の湧水(大和沢川の扇状地の湧水点)が湧いたのでしょう。
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蔵王大権現。
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金峰神社の由緒案内はありませんでしたが、こちらに蔵王大権現の案内板が…句読点がなくてちょっと読みにくいです。
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「慶長6年3月7日より16日まで10日間為信公清水森に於て敵味方不問元亀2年以来戦死したる霊を弔せんがため須弥壇を設け大法会を執行せり法会の4日目に当り年の頃三十路を過ぎしとおぼてきその風姿尋常ならぬ女一人下女を召し連れ仏前に焼香なし目に涙を浮べ暫らく合掌しやがて懐中より巻物を取り出し細かなる声にて読み上げたり読み終りてその巻物を静かに巻き納め之を須弥壇の上に置き三拝し懐申より小脇差を取り出し氷の如くなるを抜いて胸に二太刀さして打ち伏したりこれぞ田舎館5代城主千徳掃部政武の妻於市の方にて積年34才なりき大法会終了後為信公の仰せにより如来様は庵寺に奉安死体は自害の場所に埋葬し堂を作り為信公自ら印として榎をお手植なし蔵王大権現と名称をつけ清水森附近の農民に氏神として謹みて崇敬すべしを仰せありたは以来393年清水森村民により篤く弔せられ今日に至るその奇特の志に対し当協賛会として満腔の謝意を捧げるものなり 昭和59年7月14日田舎館城400年祭記念事業協賛会」
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天正13年(1585)5月、田舎館城を大浦為信が攻めて落城。城主千徳掃部政武以下300人余が自害及び討死。
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政武の妻の於市(当時18歳)は一児(嫡子武丸)を抱えて逃げ延びますがその後見つかります。
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為信が津軽を統一した後の慶長6年(1601)3月10日、敵味方合同の清水森大法会の時に、於市が祭壇に進み焼香後、その場で自害した、為信が法会終了後に堂を作り、榎を植えて蔵王大権現と称したという内容。悲しいお話。
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