

追良瀬川を遡り、松原に到着する約300m手前の左側初瀬山草分に、50m程の岩山がそそり立ち、その断崖の突端近く、追良瀬川の渓流を見下ろす洞穴にあります。


津軽一統志によれば、康永3年(1344)藤原氏家が行円和尚(大和国宇多郡神願寺住僧)を招き開山と伝えられますが、安政2年(1855)の神社微細社司由緒調書上帳には智澄大師作とあり創立は不明。

明和8年(1771)円覚寺末寺である善寿院の永慶法印が再興し独立、歴代藩主にも崇敬され代参が行われました。

その後明治時代には深浦の浜町にある春光山円覚寺が管理して飛び地境内とも呼ばれました。

例祭は9月15日。

案内版より…

「室町初期の康永3年(1344)造営の棟札があり、創建の古い観音堂である。洞窟の中に建てられた舞台造りの堂宇で、昔から窟観音(いわやかんのん)と称され、本尊は如意輪観音である。本堂の前には、薬師・毘沙門・愛染・弁天・稲荷・山神・胎内くぐりには不動明王、麓には地蔵・吉祥等の九つの堂社がある。津軽三十三ヶ所観音霊場第九番札所で、地域の人々からあつい信仰をうけている。」


身代地蔵堂。

吉祥天・悲母観音。

さて、行きましょう!


行円・万良・善寿院各法印之供養塔。

こちらにも案内版。

「室町初期の康永3年(1344)に大和国宇多郡神願寺住僧行円によって開かれ、のち木食万良が再興した。明治8年(1771)善寿院と称して深浦の円覚寺末寺となる。」

勾配のきつい石段を上って行きます。津軽霊場の最難所と言われているのでドキドキ。

観音様が見えてきました。

よく見ると下に「ケッパレ」と書かれています。

しかし勾配は更にきつくなります。

山伏の修験場であったのも納得。

再び観音様…「あと少し」…あまり信用せずに進みます(笑)

途中に旧道への案内がありました。旧道好きとしてはもちろん旧道の山道を進みたいのですが、看板の注意書きを読んで断念(笑)

上まで来たかと思ったら、ちょっと下っていくんですね。旧道は上り。

今度は「すぐそこ」(笑)

不動堂へは…。

ロッククライミング(笑)

不動堂。

胎内くぐり。



下りも気をつけて!

ようやく見えてきました。


到着!!


本堂の上には頼りない崖崩れ防止的ネット。

更にその上には大きな蜂の巣があって蜂がうじゃうじゃ…あれってスズメバチの巣では!?(( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

大正11年に炎上し、同13年に現在の堂を再建。



多くの寺宝や記録が焼失しましたが、猛火の中で如意輪観音像だけが燃えずに残ったといいます。

本堂。

拝殿の横に…

その馬の足元に…

合社の不動堂。


山神宮。

稲荷宮。

弁天堂。


毘沙門堂。


惣染堂。

薬師堂。


観音堂からは美しい追良瀬の渓流を望むことができるのですが、木々でうまく写真が撮れませんでした。渓流釣りを楽しんでいる方々がたくさんいましたよ。

ご詠歌「深山路や 檜原松原 分け行けば 山も誓いも 深き谷川」

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