津軽三十三観音霊場第33番札所。
本尊は聖観音菩薩。
境内にあるスギ林は弘前市の保存樹に指定。
もと蘭庭院末院。蘭庭院裏の墓地後方の丘陵にあり通称山観。
創建年、開山、開基不詳ですが、茂森山の開削と長勝寺構取立の際に重森山にあった観音堂を現在地に移転したのが初まりとされています。
延宝6年(1678年)に津軽藩4代目藩主津軽信政により、蘭庭院8代目住持在秀を開基として再建。
蘭庭院を菩提寺とした久祥院(信政の生母)より閻浮檀金観世音像が寄進されています。
あっ、一部工事中にてこのような写真で失礼。
元は庵寺で市立弘前図書館所蔵の寺社領分限帳(正徳元年(1711年))に普門庵とあり、津軽俗説選には三十三霊場の第33番、茂森山観音、普門庵とあります。
現在の観音堂は享保3年(1718)の火災焼失後に再建。寛永年間(1748~51)には津軽三十三観音霊場の結願所として広く信仰を集めます。
明治3年(1870年)に全昌寺が海蔵寺に合併されたことにより、禅林街33ヶ寺の一つとなります。ちなみに全昌寺は現在のなかよし保育園の場所にありました。
大正7年(1918)寺院の格式を得て寺号を普門院に改称。
昭和55年(1980年)に境内の身代観音堂から円空作の十一面観音が発見されました。身代観音堂からって…それまで気付いていなかったのも凄い気がします(笑)
寛文年間(1661~72)に円空和尚によって制作されたものと伝えられ、像高175cm、一木造り。
円空独特の作風を持ち古くから信仰の対象になった経緯などから弘前市指定有形文化財に指定されています。
文政4年(1821)9月に江戸定府の藩士兼松石居他20名が奉納した関羽図。津軽藩抱え絵師の新井晴峰筆。
文久4年(1860)に寄進された絵馬など見応えあります。
閻魔堂。
迫力あります。
私なんて何枚舌を抜かれることやら。
身代観世音堂。
延命地蔵堂。
稲荷堂。
精進料理も人気のお寺です。
ご詠歌「いままでは 親と頼みし 笈摺(おいずる)を ときて納める 茂森の寺」
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