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本尊は釈迦牟尼仏。
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永正17年に梅英春香を開山とし創建との説、享禄年間に真顛寿泉を開山とし創建との説の2つが伝わります。いずれも開創地は賀田村(旧岩木)。弘治年間花巖春公が堂宇を建立。
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津軽一統志では真顛と巖春を開山・開基としてます。ついで木庭袋伊勢守が再興し、2世月寒和尚の時に宗内大源派の本寺となり岩木山西方の西根地区9ヶ寺を支配。慶長年間に現在地へ移転。元禄5年4代藩主信政生母久祥院が没すると当寺へ埋葬し、翌年の法事にて寺領100石を受けました。
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4.5
江戸期は長勝寺の客末寺で、西根地区より城下へ移された宝積院、勝岳院など9末寺を持ちます。
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県重宝の久祥院殿位牌堂。
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元禄5年(1692年)に死去した実母久祥院(きゅうしょういん)のために、四代藩主信政が菩提寺隣松寺に寄進したもの。
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台座に置かれた総黒漆塗の位牌堂で、これに付された金具や細工物に特徴があります。金箔を押した扇軸釣り観音開きの唐戸、細工を組み合わせた格子天井など非常に凝った造り。屋根も宝形造に唐破風を具えた変化のある屋根で、木瓦葺、頂上に宝珠露盤を冠しています。
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総高2.8メートル、位牌堂真々1メートル、台座高51センチメートル、台座真々1.3メートルの桃山時代の特徴を残した元禄時代の様式をよく表現し、地方色豊かな位牌堂。なお、同じく県重宝の久祥院殿写経は弘前市立博物館にあります。
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應慈濟。
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千躰地蔵尊等。
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天井には栄螺堂のような龍が描かれていました。
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桐山正哲之墓。
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「桐山家の初代は元禄14年(1701)に儒者として江戸で召抱えられ、二代から代々医者として仕えました。四代正哲は本草学に詳しく、杉田玄白の仲間で、「解体新書」の翻訳に参加したことが玄白の「蘭東事始」で知られています。
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この日本医学史上画期的な業に弘前藩の医者が参加していることは特筆すべきであります。四代正哲の生年は不明ですが、文化12年(1815)7月10日に没しました。「梧嶺鳳斎居士」が戒名です。
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六代正哲の時代に弘前に勤務替えになり、菩提寺も隣松寺に移されました。現存するのは七代目正哲の墓碑ですが、貴重な医学史の遺産であり、碑を建立して桐山家の墓誌を刻して顕彰するものであります。平成22年(2010)7月10日」
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