明治時代、種市村の栄助という行者が赤倉にて神となり、生き神様として信仰されるようになりました。そんな赤倉霊場を今回は紹介したいと思います。
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大石神社(弘前市大森)の裏手を更に上っていった場所。岩木山登山の赤倉コース入口がある場所と言った方が馴染みがあるかも知れません。
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赤倉霊場は赤倉山神社を中心に大小様々な堂社が数多く点在しています。土地も広大で、地図を見てもどれがどれなのかわからなくなるくらいです。
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今回は案内地図の1~8番までのエリアを紹介。
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大石神社から上ってくると最初に現れる鳥居。
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菊之道神道教社等。
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鳥居に「赤倉大神」とあります。
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案内地図1~4番の辺り。
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「須藤芳信碑」がありました。
秋田県山本郡八森町岩館で出生。幼少より霊感あり神仏混淆を修行す。昭和三十二年弘前市東目屋の江利山氏を頼り鬼神の地岩木山中の赤倉山に三重塔を建立し後建石御堂へ籠もり昭和四十二年宗教法人赤倉山菊之道神道教社を創設神殿を落慶大教師となる。信者へ活力を授け広く全国の神社霊山霊場を共に巡拝し神道布教に全身全霊を注ぐ。また、山岳信仰の地赤倉に越冬電灯を設営遭難者用電話を設置する等人間形成修養の社会奉仕に尽力せり。平成元年六月六日遷化す。行年七十歳なり。
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更に上っていくと津軽赤倉山神社・鼻和堂。
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案内地図の5番です。
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赤倉霊場の中核、赤倉山神社です。
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青森県神社庁への記載はない神社です。
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赤倉霊場中興の祖と呼ばれる「工藤むら」です。
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赤倉山神社を建立した方で、亡くなられた後は神として祀られているそうです。
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工藤むらは娘さだの体を心配しゴミソ(御巫祖)に相談に行き、赤倉山へと行くようになりました。
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鼻和村の産土様に3年3ヶ月の願をかけて信仰している間に成田の不動様の姿が入り、翌年正月から赤倉に行き、大石神社で3日の行をしているうちに霊感を得てゴミソ(カミサマ)になりました。
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工藤むらが赤倉に修行に来ていると夢の中に赤倉様が現れて、この地に社を定めるようにと天啓を受け、営林署から現在の土地を借り受けて赤倉山神社の前身の霊堂が造ったといいます。
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その後も多くのゴミソが修業に集まり、それぞれ独立した堂などが造られていきました。
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大正~昭和なんですねぇ。しかし赤倉の鬼神伝説を考えれば、形は違えどその信仰がもっと古くからこの地に存在していたとも考えられます。
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古くから津軽の霊場として有名な修験の地だったことは確かです。そして現在もなお、ここは所謂聖地であり、信者による崇高な修験の場なのです。
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さて、更に上っていき、案内地図の6番です。赤倉山宝泉院。
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かつてここには立派な赤倉山三重塔が建っていました。
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1965年に建立され、2008年に取り壊されたといいます。
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以下が赤倉山三重塔の痕跡。
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龍神大神。
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庚申大神。
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庚申大神に下駄。
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更に更に上っていき、案内地図の7番です。十腰内堂。
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案内地図の8番のエリアです。案内地図には番号しかありませんでした。
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これまた独特な雰囲気が漂います。
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再建弘法大師。
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岩木大神。
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猿田彦命。
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赤倉大権現。
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平間ハル。十腰内堂を開いた方。昭和39年の朔日山の登山(旧7月29日)にて、大雨にも関らず信者と共に登山を強行し、信者たちの目の前で鉄砲水に巻き込まれて亡くなったそうです。
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「平間波㐬之像」。
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