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津軽三十三観音霊場の第二十八番札所。
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古くは広舟とも書き、竹館村誌によれば地名は中世の弘船寺に由来。
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天文年間の津軽郡中名字にも弘船寺と見えます。
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広船館があったとも言われており僅かに館跡が残る地。
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青森県認定「私たちの名水 観音清水」。
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観音清水の脇に朱印所があります。
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梵鐘。
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嘉永2年(1849)に鋳造されたもので藩政時代の在銘の鐘としては当町唯一のもの。
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広船外川家六代の小右エ門庸祥が観音堂別当の廣住院に寄進。
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広船獅子(熊)踊は青森県無形民族文化財。
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「千年杉と夫婦神木」
明治21年5月戸数58戸と神社及び境内の古木が消失しました。特に千年杉と大銀杏は今もなお惜しまれます。その千年杉は6日間燃え続け、これを見かねた村人3人が木に登り、水を吊し上げて消火に当り消し止めたと当時の日記に記されています。その焼け残り株伐採により、村人の惜しむ心が一層つのり伐根(直径3.5m)の中央に杉を新植しました。第二鳥居の傍らの伐根。この伐根は、その大火で焼失した古木の根(現存)の傍らに2本寄り添って自生した夫婦杉とも称されていたもの。
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平成3年9月28日の超大型台風19号の被害で境内は惨たんたる光景でしたが崇拝する地域住民の総力により社殿、境内ともに復興。この夫婦杉他被害を免れた樹々は、今後の危険防止のために村民に惜しまれながらも平成4年、樹齢は100数年にして伐採を余儀なくされました。
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明治21年の大火焼失の根元に2世の夫婦杉が自生し、今この伐根の傍らに3世が自生しています。大自然の摂理に感動してここに掲示して長く保存しているとのこと。
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貞享4年検地水帳によれば岩之坊抱え観音堂地がみえます。
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この観音堂は天和4年の村絵図に見え、広船村の氏神であり、城跡の隣に祀られています。
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大同2年坂上田村麻呂が千手観音を勧請し創建と伝えられており、寛延年間(1748~51)には津軽三十三観音の第28番札所となります。
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※いったんは廃れ、正長元年(1428)もしくは慶長10年(1605)の再建とも伝わっています。
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末社には八坂神(須佐男之命)。
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寺宝に「正長2年7月祭主糠部大旦那」の銘がある鰐口があります。
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神仏分離により明治3年には八坂神社となり、明治8年に広船神社と改称。
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神仏分離の際に村内の組頭が千手観音像を貰い受けて仏壇に安置して保管。
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昭和15年に「皇紀2600年」の記念事業として観音堂を建立すると、本尊の手観世音菩薩像を再び祀りなおしています。
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集落の方々によって長年に渡り、大切に守られてきた観音堂というのがわかります。
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様々な石碑等。
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こちらの五輪塔は相当古いものなんでしょうね。
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稲荷神社。
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薬師堂。
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昭和53年滝造園記念の石碑があり、本堂横からの滝が池に流れ、池の中央には末社。
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弁天宮でしょうか。
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「神様と皆様の魚です。マスマス大きく育てましょう。」
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池には大きなマスが泳いでいました…えっ!?ダジャレ!?(笑)
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その他にも馬頭観音などの末社が3つありました。
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船観音堂の御詠歌…
「世の人を 洩らさで乗する 廣船の 誓いは深し 法の山川」
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広船神社の目の前にあります広船城跡標柱。
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「築城年代は不詳。諸書に阿部兵庫介在城とあるが、後の沖館城と共に桜庭太郎左衛門信正が預かりこの城に在城した。広船神社に「慶長15年別浦太郎左衛門尉信正」在銘の棟札がある。
この城は、主郭と2つ帯郭からなっていたようだが、わずかにその面影を留めているに過ぎない。」
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主郭東西100m×南北70mほどの平山城。
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