境松と元町の境にあり、黒石陣屋の西に位置する黒石最古の商人町。
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境内の真横を私が好きな宇和堰が流れています。
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向拝下に鬼コ!?
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と、思いきや山伏でしょうか?力士でしょうか。
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蛙股にて神社を支え守っています。
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ネットにて調べたところによると、このようなタイプは秋田県などでは建築力士像と呼ばれているそうです。
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金剛力士像は知っていますが建築力士像なんてあるんですね。色々なタイプがあるものです。いやはや勉強になりました。
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力士像の両端の木鼻は正面を向く獅子。
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宇和堰。
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元禄4年の黒石御絵図に「そうせん堂」とあり、宝暦9年の黒石神社書上帳にて「惣染宮」と記されています。
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国誌によれば「崇染堂」とあり、明治4年に稲荷社と改め、大工町の稲荷神社に保食神として遷されています。
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「そうせん」、「惣染」、「崇染」とありますが、これは当字が多いと言われる馬の守護神「蒼前」でしょう。
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日本書紀によれば、天照大神の命で保食神のところにやってきた月夜見尊月は保食神が口から様々なものを出してもてなす態度に怒り、保食神を殺してしまいます。
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天照大神が天熊人を保食神のもとに遣わすと保食神は死んでおり、頭に牛馬、額に粟、眉に蚕、目に稗、腹に稲、陰部に麦と大豆と小豆が生まれていたと言います。
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天熊人がこれらを持ち帰ると天照大神は喜び「これらは民が食べて生きていくものだ」と言って田畑の種としたそうです。この屍体の頭から牛馬が生まれた由縁により牛や馬の神ともされ、馬頭観音とも同一視されています。
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以上のことから、かつては惣染宮、崇染堂などと呼ばれ、現在に至り保食神社となっていることは大体納得できますよ。馬が大切なんですね…馬が…しかーし!!
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こんな馬頭観音像は初めて見ました。この神社については由緒不明とされているものが多い中で、一生懸命調べて推察し、そして辿り着いた馬頭観音が…(笑)
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何これ?埋まっているの?小さなお子様の乗り物?どういうこと?(笑)
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御祭神は保食神。例祭日は7月17日。
寛永18年 (1641)5月、 元町中にて社殿の建立願いを出し三尺四面の堂宇を造営。
元禄11年(1698)5月以降は黒石領主の祈願所。
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明治4年(1871)4月の神社改正に付き、 明治6年(1873)4月に甲大工町の郷社稲荷神社へ合祀。
明治7年(1874)4月復社して村社。
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