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御祭神は高皇産霊命。
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安政年間創立。神仏分離を経て高倉神社に。津軽三十三観音第六番札所。
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明治4年に御神体の(かなくそ)をめぐって湯舟と小屋敷の間で紛争が起こっています。
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本殿には聖観世音菩薩、かなくそ石、高皇産霊命、阿弥陀如来の小堂を安置。
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本殿裏手にちょうど4つの窓があり小堂が見えます。
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駐車場は横の急坂を上って本殿裏手にあるのでちょっと不便。
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『青森の伝説~竜神の刀』には以下のようなことが書かれています。『津軽俗説選後々拾遺』由来。
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【鳴沢駅から南の方へ三百メートルの所に弘前へ通じる県道がある。この道は藩政時代のころは西浜街道とよばれていた。土地の人は別名「殿さま街道」ともよんでいる。いまでも建石のあたりには藩政時代のころの名ごりの並木が残っている。
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鳴沢駅から西浜街道を鳴沢川沿いに東へ歩き、約一キロほどの所に、砂鉄がよく採れたという湯舟部落がある。歴史的にはかなり古い部落で、この部落に「鬼神太夫の刀」の伝説がある。
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むかし湯舟部落に、神なにがしという腕のたつ刀鍛冶が住んでいた。刀鍛冶には二人の美しい娘があった。頑固な刀鍛冶は姉娘の婿入りの条件を次のようにした。「誰の力も借りずに、七日のうちに十腰の刀を打ちあげたもの。そしてその刀がわしの刀よりいい物であること」。
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ある日一人の若者が現れて刀を打たせてくださいと言う。そして七日の間は鍛冶場を覗かないでくださいと申し出た。
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刀鍛冶は不審を覚え、そっと仕事場を覗くと一匹の竜が仕事場いっぱいにとぐろを巻き、口からもうもうと赤い炎を吹きつけ刀を作っていた。若者が竜だと知った刀鍛冶は怪物に娘をやるわけにはいかないので困った。
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六日目の晩に鍛冶場を覗くと竜は若者の姿に戻って眠っていた。そこで刀鍛冶はこっそり一腰抜いておいた。翌朝若者は十腰できあがったと刀鍛冶に申し出た。
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刀鍛冶が数えてみると九腰しかない。刀鍛冶は「十腰といったのに九腰よりない。そんな者は娘の婿にはできねえ。出て行ってくれ」と言い、若者は「十腰ない。確かに十腰打ったのに十腰ない。十腰ない」とつぶやきながら去っていった。
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若者が姿を消した翌日から姉娘は熱をどっと出した。高熱にうなされながら「刀を川へ」とうわごとを言い始めた。刀鍛冶は竜から盗った青白い妖気を漂わせた刀を湯舟川へ捨てた。湯舟川の魚は片目がつぶれているのはこの刀に刺されたからと言う。また河童も刀を恐れて遠くの沼へ逃げ去ったと言う。娘は結局体調が戻らず静かに息を引き取った。
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それから3年後、また一人の若者がやってきて七日の間に素晴らしい十腰の刀を作り上げた。刀鍛冶は妹娘の婿に決めて、三年前の若者の話を聞かせた。すると若者は自分の兄(鬼神太夫)に違いないと言う。兄は竜神に祈願していたがその竜神がのり移り魔剣を打つようになったという。そのことに気付いた兄はふと姿を消した。兄は心だけではなく体も竜に売ってしまったと言う。
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湯舟部落の高台に高倉神社があります。この神社は鬼神太夫を祀ったもの。鬼神太夫の残した九腰の刀は巖鬼山神社(のちの岩木山神社)に奉納されましたが、いつの間にか七腰がなくなり、今は二腰だけが残されていると言う。(※現在も巖鬼山神社に一腰残っているという)】
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要約しましたがこれが岩木山北山麓に残る鬼太夫伝説の一つ。また、『寛延順礼記』では【昔、ここに鬼神太夫という鍛治がおり、刀を打ち悪魔を退治した。石と化したので観音堂にお祭りした。石が地面から出現したので堂は鞘堂にしてある。ここから奥の方に、刀を鍛えた湯舟の跡がある。】とあります。
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古い鬼伝説が残る土地のほとんどは製鉄・産鉄地。湯舟地区では数々の製鉄遺跡が残されているんですね。その代表が杢沢遺跡。ちなみに菅江真澄の雪のもろ滝を読んだところ、「十腰ないということを村名にしたともっぱら人が言っているが、蛇多沢(トコヲコシナイ)という蝦夷人のことばがここに残っているのであって、また太刀作りも住んでいたので、それにそえて言い誤ったのであるとかいう」とあります。
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『いまの世に神といわれる鬼神石 庭の砂も浄土なるらん』
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