鉄イオン鉱泉熱の湯。銭湯と旅館を兼ねていました。とても趣きある建物だったと記憶しております。
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現在はスーパーホテル&赤湯とり蔵となっており、当時の面影はまったく無くなりました。
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赤湯とり蔵もオシャレな雰囲気の焼鳥屋になりましたよ。
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昔食べに行ったんですけどね…なにせコンデジも携帯電話も持っていない頃でしたので写真はありません。
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昭和10年古地図。当時の名称は赤湯旅館ではなく古川旅館です。2階の壁は白漆喰のような感じで建物右手が張り出しの欄干になっていました。
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左隣には現在向かいにある赤湯の餅こと三笠屋餅店があり、この古地図では空欄になっていますが、現在の三笠屋餅店から隣の駐車場の半分くらいまでは弘前市内では知らない人がいないほど有名だった梅林食堂。梅林食堂の奥には茶室があり、注文する時には太鼓を叩いたそうです(ガスの音で聞こえにくいため)。ドンッと太鼓を叩くため、「ドンの梅林」とか「太鼓の梅林」と呼ばれて親しまれていたそうです。なお、その太鼓は文化財の一つとして弘前市が管理し、また法隆寺にも寄贈。太鼓にねぷたの絵(長谷川氏)を描いて頂いたのは梅林食堂の御主人様が初めてのことだったようです。梅林食堂の人気は自家製麺の中華そばでしたが、カレーにも非常に凝っており、天皇御来弘の際には御代わりされたほどのものだったそうです。
現在のスーパーホテルの左隣には数年前なら上土手町繊維センターやパチンコキング&喫茶スワンがありました。現在の焼肉屋&焼鳥屋はキング経営ですね。
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右隣は小路を挟んで花いちもんめ(移転・土手町)と現在もその場所に残る石岡商店。
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この建物はとても面影を残していますね…いや、面影じゃなく昔のままと言っていいでしょう。はないちもんめがあった頃と現在の写真の見比べ。私の記憶では今のスーパーホテルのところにはないちもんめがあった気がするんですけどね。何度か移転しているのでしょうか。
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