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当社は宝暦年間(1751~1764)に山中安全を祈願して、山神宮の信者達によって建立されました。
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安政2年(1855)神社微細書上帳によれば、薬師堂末社の山神宮として記録されており、明治4年(1871)藩内大小神社調べでは、これまでの神仏混淆から、仏体を取り除き社号を胸肩神社と改め、祭神を多紀理毘売命、日方津嶋比売命とし、6月朔日を祭日と決められています。
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いずれにしても旧藍内村の産神(うぶすな)の社として崇められ今日に至っています。板葺きの三尺四面の堂社は破損の度に旧相馬村の者たちにより再建されてきたそうです。棟札としては文政9年、天保15年のものがあったようです。
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