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現弘前城の場所にあったと言われる古社で築城にあたり、地主神として鬼門に移されました。古くは奥尾崎(現中泊町、旧小泊村付近)に崇神天皇(西暦紀元前85年)の創建と云われ、斉明天皇4年(658)の時阿部比羅天がこの神社を崇敬し熊野三所大権現を奉ります。
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概要『当神社は、今(昭和52年)から約1189年前崇神天皇67年の創立にして斉明天皇4年、阿部比羅夫がこれを崇敬し、その副使物部安麿が東夷を征せんとして津軽に来て奇瑞を得て小田山の下に社を建て熊野三所大権現を崇敬したが桓武天皇延暦7年比羅夫の子孫比羅賀洲王が神輿を奉じて奥尾崎(今の北津軽郡小泊附近)より扇野庄(今の弘前)に遷し奉ったのが鎮座した始めと伝えられている。延暦21年桓武天皇神殿を新に造立して高岡神社と称し、同24年陸奥国高岡熊野神社と称した。当神社本殿は、慶長18年第二代藩主津軽信牧公の再建にかかるものであるが「天正十六年六月為信殿修覆、同十七年五月下乗下馬修補」とあるのを以って、旧藩津軽氏が崇敬した始めと見られる。その後明治13年阿部比羅夫、坂上田村麿両将軍の神霊も合祀して熊野奥照神社と改称し今日に至っている。祭神、伊邪奈岐伊邪奈美命、櫛御気野命、事解男命、速玉男命。相殿祭神、高皇産霊神、神皇産霊神。』
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さて、普段はお目にかかれない本殿内です。
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ご覧あれ。
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美しい。
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市指定有形文化財の石造狛犬一対。
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寛文4年(1665)の造られ、越前・越後方面より北前船で輸送されたものと推定。
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桓武天皇延暦7年(788)当弘前の地(扇野庄)に遷座、大同2年(807)に坂上田村麿が蝦夷征伐の祈願したと伝えられています。
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延暦21年(802)に高岡熊野神社と社名を変更、明治13年(1880)熊野奥照神社と改称、現在の社殿は慶長18年(1613)に2代藩主信牧による再建。
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何か…数字だけでも凄い歴史ですね。
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八甲田山に祀られていたという伝説もあるようです。
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棟札で確認できる当市の最古の建造物。
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慶長18年(1613)2代藩主信牧による再建されたことも記されて、江戸時代の修復の棟札も4枚残っています。
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ガラスケースに反射してうまく撮れませんでした。
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県重宝蕨手刀一口は伝来こそ定かではありませんが、元禄15年(1702)の神社由緒書にはすでに記載されているもの。
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宝物参集殿内。
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こちらもある意味名物になっています…蛙(笑)
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境内には建武年間の板碑などもあります。
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熊野奥照神社…実に趣深い神社でした。
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