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誓願寺山門。
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重要文化財。
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場所は弘前市新町。
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慶長元年(1596)平賀町の大光寺村に創立され、元和元年(1615年)弘前城築城の際に西の守りとして現在地へ移されたものと伝えています。
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京都誓願寺を模して建てたとも伝えられ、四脚門のような柱配置を取りながらも、切妻造柿葺の屋根に招破風を付け加えて重層とし、しかも妻入という極めて珍しい構造形式が取られています。
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全体に彩色がなされ、十二支の絵も描かれ、懸魚に鶴や亀の彫刻が用いられている珍しい構造で通称「鶴亀門」とも言われています。
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門の建立年代はその構造形式から江戸時代中期のものと推定されますが、下層の蟇股などの形式は室町期のものともみられ、旧大光寺村から移されたものという伝承も否定できません。
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奇抜な意匠をもった特異な門。門の向こうには真っ直ぐ道がのびます。
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新町から誓願寺前まで道はかつて江戸町と呼ばれて、三味線の音が鳴り響く、とても粋な場所であったといいます。
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誓願寺本殿。本堂入り口の山号の額は弘前出身の軍人一戸兵衛(1855~1931)の揮毫。
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平家琵琶の碑。誓願寺檀家である津軽藩士の勘定奉行楠美荘司則徳は、江戸において平家琵琶を学び、帰藩後藩士を中心に伝承。
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更に楠美家の末裔館山漸之進は、大隈重信らの助力を得て苦心の末自ら『平家音楽史』(明治43年)を編纂刊行。刻まれし言葉は楠美家の末裔佐野楽翁の和歌「四つの緒の永く伝へん梓弓 屋島の波の遠き調べを」。
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誓願寺の墓所には多くの津軽藩士が眠っており、初代藩主為信公の軍師沼田祐光(面松斎)の墓碑や板碑等もあります。
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