大館市花岡町です。
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元は岩本の男神女神の麓にあって、真言宗に属し「森昌寺」と号していたそう。天正の頃、七ツ館の現在地に移転したと言われています。
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天正2年(1574)12月、花岡城浅利定頼公が秋田実季と戦い戦死し、その後、子息の定友公が当寺を再建し、定頼公を開基としました。
徳川初期には、今の曹洞宗に属しており、その後承応元年(1862)3月25日、大館宗福寺8世快厳存鷹大和尚を請して開山第1世として明確に曹洞宗として宗福寺の末寺となります。本尊は「千手観音菩薩」。秋田観音三十三番札所です。
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境内には樹齢約650年と言われる銀杏の木があります。
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戦時中に花岡鉱山に強制連行された中国人労働者らが一斉蜂起したあの花岡事件の犠牲者を悼む「中国人殉難者慰霊式」も行なわれます。
花岡川河道付け替え工事での中国人酷使が有名です…旧花岡川との合流点…まさに目の前が現地です。
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花岡川は元々、写真の支流が合流したあたりから西へ流れていましたが、戦争末期に鹿島建設によってこの写真のルートへ流れを変える工事が行われました。
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「当信正寺は『花岡平和記念館』と一切関係ありません。平成22年4月17日」という看板が。在日本中国大使館の薛剣参事官、日本社会民主党党首で内閣府特命担当大臣の福島瑞穂氏、花岡事件の生存者の李鉄錘さんなどが訪れて、花岡平和記念館の開館式が行なわれたのが平成22年4月17日ですねぇ…