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南溜池(南塘・鏡ヶ池)東側の堤下に「新派町」(現桶屋町)が町割りされた寛文十年(1670)前後に造られたと推定されています。
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小沢通りとされていた土塁堤上が、藩政後期には土居通りと変わり、この坂上が辻と呼ばれたことから、辻坂と言われ始めたとか。明治になり、通称「辻坂」は一般的呼称とされました。
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また、この坂は、ねぷた喧嘩がはなやかな頃、弘前城西側の下町勢と東側上町勢が衝突したところで、横町(東長町)の坂とともに、南北の二大合戦の場として市民に知られていたところです。
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古地図では坂上両側に茶屋がありますねぇ。
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昭和10年には両側に病院です。
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坂上右側の一部に南塘の文字を残しています。
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八坂神社から辻坂方面を見下ろす。
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この辺りは繁華街も近く、時代時代でその姿を結構変えてきたようです。
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昔は坂上に若松楼や峰月館などの料亭や見番がありました。近年では居酒屋(菜々?)、ディスコ、ストリップ劇場(日江)などもありました。日江劇場の隣には当時珍しかった長髪金髪のおじいさん(ムーン・ライダースのアルバムにも登場した方)が経営するトゥエンティがありました。坂の途中には茶太郎新聞というユニークな新聞が掲示されていたこともあったそう。また、坂上に子供と津軽弁が書かれた独特な交通看板があったそうです。
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ちょっと昔と、現代の見比べ写真!(元天恵湯付近から)
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最近もぐりる要総本店が無くなり、フラワーショップ花の時も無くなり、その向かいの木原輪業商会(自転車屋)もやっていませんし、民家も取り壊しに、くだものトラヤ商店、天恵湯も、割烹福住もなくなりました。
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桶屋町。
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寛文十三年(1673)ころは、新しくできた町として町割りされ、元禄十三年(1700)には桶屋町と呼ばれていました。桶や樽などを作る職人が多く住んでいたことから名付けられたものです。
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