イメージ 19
旧岩木町の植田地区西方にあります。
イメージ 12
津軽一代様・辰巳です。
イメージ 32
イメージ 7
イメージ 8
イメージ 31
藩祖為信が津軽平定の後、最勝院(賀田)五世、眼尊上人に相談し、慶長7年(1602年)に浅瀬石の高賀野山に愛宕大権現を勧請し、祈願所としたのが始まり。
イメージ 34
イメージ 35
為信は慶長5年、関ヶ原の合戦に出陣し大垣城を攻めた際、向こうにあった愛宕様に戦勝祈願をかけたところ小軍勢でありながら勝利をおさめたので、寺僧に乞うてもらいうけてきたのが愛宕山大権現の勝軍地蔵(大仏師大弐法眼作)です。
イメージ 15
イメージ 17
勝軍地蔵は高賀野山に安置されましたが、慶長14年に二代藩主信枚により愛宕山山頂に移されました。
イメージ 24
イメージ 16
新編弘前市史岩木地区資料編にて、愛宕山橋雲寺の勝軍地蔵の御神体のカラー写真を見ることができますよ。勝軍地蔵の御神体は素晴らしいものでした。
イメージ 30
津軽歴代藩公祈願所だったこのお寺は、津軽十景のひとつ。
イメージ 25
イメージ 33
大正時代の勝軍地蔵の縁日の様子。
イメージ 40
直径1m以上の老松・杉がうっそうと生い繁り、この静寂の森から響き渡る凡鐘の音が、古えの趣を感じさせます。コケをむした石段は美しく、涼やかなたたずまいを見せます。
イメージ 29
山頂までの道のりは石段の坂を上って行きます。
イメージ 26
イメージ 38
菅江真澄は弘前から熊島、高屋を通り、八幡を経て植田の部落に。そしてこの坂を上りました。
イメージ 28
『坂のかたわらにある橋雲寺を新たに造りかえるというので、山の大杉などを伐りたおしているが、その枝葉の先を折って、伐った木の根株の芯ごとにさしてあった。これが「本末をば山の神に祭りて」と書き記されている古くからの風習で…』などと記しています。
イメージ 27
山頂にあるのが愛宕山大権現でその別当が愛宕山橋雲寺。
イメージ 37
イメージ 9
イメージ 5
イメージ 6
イメージ 3
イメージ 39
イメージ 4
弘前の天満宮は愛宕山橋雲寺から菅原天神を移建したもの。津軽信政の生母久祥院による勧請。
イメージ 36
境内には奥之院をはじめ、稲荷祠堂、延命地蔵尊堂、三十三観世音、護摩堂があります。
イメージ 11
イメージ 10
イメージ 13
イメージ 14
イメージ 18
イメージ 20
イメージ 21
あっ、倒れそう!
イメージ 22
あっ、倒れてしまったのもありますね。
イメージ 23
たぬき様!?
イメージ 1
(( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
イメージ 2