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太宰治まなびの家です。
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大正10年(1921)11月建築。木造2階建。
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大正10年(1921)に旧碇ヶ関村村長宅を移築したと伝えられています。
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昔の写真。
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今の玄関と昔の玄関。
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当初の建築場所は現在地から100mほど北西にありましたが、建物の向きも変えることなく現在の地に再建。
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建築当初は日本住宅史上の一大変革期といわれ、中廊下型平面といわれる新しい様式で建てられています。
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現存する数少ない大正時代住宅として貴重です。
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藤田家の本家は松森町で酒造業を営む名家高嶋屋で、豊三郎の分家にともなって住宅が建てられました。
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豊三郎の妻がが津島家の分家筋であったことから、旧金木町の大地主・津島源右衛門の六男修治(太宰治)が、官立弘前高等学校在学期間中の昭和2年4月(1927)から5年3月(1930)まで下宿していました。
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修治の居室は2階奥の押入、縁側、出窓が付いた6畳の部屋。
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ふすま1枚を隔てた手前の部屋は、藤田家の長男本太郎氏が使用しており、小説を聞かせてもらったり、チェスを楽しんだりと親交を結んでいたそうです。
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部屋には実際に使用した机や茶ダンスなどが当時の姿のままに置かれています。
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太宰はこの地で、花街で遊ぶことを覚えましたが、芥川龍之介の死に触発されて、1年間休んでいた創作活動を再開します。
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弘前市御幸町9番地1
10~16時
12月29~1月3日は休館日
入場料無料
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