イメージ 6
明徳館は久保田藩第9代藩主佐竹義和が開いた藩校です。
イメージ 4
『成章書院は寛政5年(1793)8月3日秋田の御学館(明徳館)の申渡しにより創立され、同日付けで教授に塩谷頼母、大森金吾の2人が、教授見習に5人が任命された。創立当時は郷校と呼ばれていたが、寛政10年(1798)に御学館から正式に「成章書院」と命名された。「成章」の語は論語から採られたもので、その意味は「美しいあやのある文章を作る」である。寛政12年7月17日、第九代秋田藩主佐竹義和公より直筆の「成章書院」の書がご下賜になった。御学館からは、堤学(毎年)や督学(数年に1回)が派遣されて、それぞれ人事、指導監督、学習指導及び学業試験等が実施されたが成章書院は他に比べて、生徒の風紀も厳正であり勉学も熱心で成績もよく、職員の勤務状況も極めて良好であると御学館における評価が高かった。また成章書院に学んだ武士たちには、家塾を開いて町民に教える者も多く、そのため十二所では、好学の気風が盛んになった。平成元年8月1日十二所史蹟保存顕彰会・十二所自治会。』
イメージ 3
略歴寛政元年7月8日(1789年8月28日)、久保田藩の家老・疋田斎(柳塘)の申渡しにより藩校建設が公式に決定。翌2年3月11日(1790年4月24日)に校舎完成。寛政4年3月14日(1792年5月4日)開講。校名を明道館から明徳館とし、武芸所、医学館、和学方等を徐々に整備し、明治初期まで存続しました。明治7年書院跡に成章小学校創設。平成4年に移転。
イメージ 5
この看板…「成章書院之趾すぐあと」って読んでしまいます。後「ろ」が必要ですね。
イメージ 2
何やら大規模な工事をしていました。発掘調査!?
イメージ 1