長勝寺は曹洞宗の寺院。山号は太平山で津軽家最初の菩提寺。本尊は釈迦如来。
イメージ 18
日光東照宮と並び称される江戸時代初期の代表的建造物。
イメージ 5
1528年(享禄元年)大浦盛信が父光信の菩提を弔う為、菊仙梵寿を開山として種里(現在の西津軽郡鰺ヶ沢町種里町)に創建された寺です。その後、賀田大浦(現在の弘前市賀田字大浦)に移され、大浦氏が堀越城に移るにあたり、現在地に移されました。
イメージ 22
イメージ 23
配置がちょっとおかしい古地図。
イメージ 3
正しい配置図。
イメージ 4
本堂左手奥の五棟霊廟は、御影堂より南へほぼ一直線に並び、いずれも東に面して玉垣で囲われ、正面に門を置いています。
イメージ 43
イメージ 33
イメージ 40
イメージ 34
イメージ 39
イメージ 35
イメージ 36
一つだけ葵の紋が入った霊屋はもちろん満天姫ですね。探してみてくださいね♪
イメージ 38
イメージ 37
とても厳かな雰囲気ですよ。
イメージ 41
イメージ 42
長勝寺三門は棟高16.2m、上下層とも桁行9.7m、梁間5.8mで江戸初期の寛永六年(1629)に2代藩主信枚によって建築されたものです。
イメージ 6
イメージ 7
イメージ 16
文化六年(1809)火燈窓を新設しているため当初とは変化しています。
イメージ 8
イメージ 9
しかし何度見てもかっこいいです。
イメージ 29
ちなみに長勝寺中門前にあるロータリーの所には、かつて太郎・次郎という兄弟杉がありました。現在は残っていませんが。※次郎杉は先に枯死。
長勝寺前の太郎杉
昔の弘前 (昭和44年)』(こちらの動画に太郎杉が映っています)
イメージ 10
イメージ 11
仁王像…意外につぶらな瞳…
イメージ 13
長勝寺嘉元四年(1306)銘の銅鐘。北条時貞、津軽曽我氏、安東一族、源光氏の名を刻みます。
イメージ 19
蒼龍窟。
イメージ 20
三尊仏厨子堂と五百羅漢。五百羅漢はすべて違う顔です。
イメージ 30
三尊仏は百沢寺大堂(岩木山神社拝殿)の本尊として二代藩主信枚が慶長15年(1610年)に寄進し、厨子は本尊安置の御宮殿として、寛永15年(1638年)三代藩主信義が建立したと伝えられます。
イメージ 31
蒼龍窟の建物の側面にある木彫りの仏様も圧巻です。
イメージ 32
イメージ 21
そういえば、長勝寺には貴重なものとして5世紀頃のガンダーラ仏(約30cm)があることでも知られています。弘前大学にいた渡辺助教授の奥様であるサビーナさんが当時尊敬していた長勝寺住職(須藤喚月師)に寄贈したもの。これについては写真とともに『津軽ふるさと散歩(小舘衷三)』に詳しく掲載されています。
イメージ 1
イメージ 14
イメージ 15
ちなみに早朝座禅会でも人気(前にJR東日本のCMで吉永早百合が禅を組んだ場所)の脇寺、耕春山宗徳寺の門も素敵です。
イメージ 2
弘前藩初代藩主津軽為信が実父武田守信の菩提を弔う為に建てたこの寺には、関ヶ原の戦い後に大阪城から津軽に逃れてきた石田三成の次男石田重成の墓もあります。
イメージ 27
イメージ 28
重成はこの地で杉山源吾と改名し、匿ってくれた津軽藩に仕えたとか。ちなみに重成の妹である辰姫の子(三成の孫)は後の第三代弘前藩主津軽信義。
イメージ 12
御墓には何と「豊臣成範」という別名で豊臣の歴史を残していました。重成の名はありません。離れた場所には重成の御子息の墓(こちらも豊臣を刻みます)があり、重成もそちらに眠られているとか。とても広いお寺なので墓を参りたい方はご住職に尋ねた方がいいでしょう。
イメージ 24
石田家が豊臣家として眠る地…深いですね…そして切ない。まぁこの辺の歴史に関してはいずれ満天姫にからめて詳しく話せたらと思います。
イメージ 25
さて、耕春山宗徳寺の由緒についてですが、津軽藩々祖津軽為信が実父武田守信(堀越城主)の菩提を弔うために当時津軽の居城であった堀越に建立した長福山耕春院と、その本寺である石川県金沢の龍光山宗徳寺を当地に移転・合併(明治45年)させてできた寺であり、加賀と津軽の2つの歴史を語らなくてなりません。特に加賀宗徳寺は、県内曹洞宗寺院との関係が深く、津軽地方のほとんど、及び南部地方(むつ地方を除く)の多くの寺院がその流れを汲んでいるそうです。まず、耕春院は、山号を長福山といい、先にも述べましたように安土桃山時代初期の天正年間に津軽為信によって、堀越城主であった為信の実父武田守信の菩提を弔うために堀越に建立され、開山は明室禅哲(津軽為信に滅ぼされた田舎館城主千徳家菩提寺の長福山安養寺の住職)。長福山耕春院の前身は、田舎館村にあった南部方田舎館城主千徳家の菩提寺の長福山安養寺(天文11年創建)であり、広大な面積を持った大寺院と伝えます。天正13年、5代城主千徳政武は、田舎館城とともに津軽為信によって滅ぼされましたが、その時の安養寺住職は宗徳寺玉窓良珍の直系8代目の高僧明室禅哲であったといわれ、その後明室禅師は、津軽為信によって堀越に建立された耕春院の初代住職(開山)に招聘されており、山号が同じであることからも、耕春院の前身は安養寺と考えられています。寺跡は前川堰と諏訪堂堰に挟まれた氾濫原中の比高1m前後の微高地で、為信の攻撃を受けた際の古戦場。なお、千徳政武は稀に見る智仁勇を備えた勇将であったと伝えますが、慶長6年に為信が清水森で大祭壇を設け、敵味方の戦役者の法要を催した時、政武の妻於市が現われて焼香し、一巻の文を読み終え自害したと伝えています。慶長16年、2代目信枚が鷹岡城を築城して堀越より移転。元和元年に津軽一円にあった禅宗寺院三十三ヵ寺を禅林街に集めて、そのうち12ヶ寺を長勝寺通りとは別に、北側に長勝寺後見役を担った別格寺として耕春院を首座とした通りを構えさせました(耕春院構え)。2代目住職連室麟奕もまた勅特賜(僧号を朝廷より賜る)の高僧で、2代目信牧の帰依僧でした。津軽為信の次男信堅(※信牧は三男)の逝去に際し、耕春院をして菩提をともらわせしめ、よって信牧は耕春院に東根(岩木山を中心とする津軽の東側)の曹洞宗の支配を命じ、百石の寺禄を与えました。現在地移転の際には、特に境内地、墓地のほか、山林畑地を含む広大な土地を与えました。当時の耕春院は大いに栄えていましたが、元禄13年(蔵経七千巻、雑書二千余巻焼失)、文政元年、明治5年、明治9年と、度重なる火災に見舞われており、また、寺禄廃止や士族の没落(耕春院檀家は津軽一族を初めとする士族に限られていたため檀家数が少なかった。)などで本堂再建も適わず、唯一商人として檀家となった津軽屈指の豪商である金木屋呉服店(現在の弘前大学病院の場所)が一時支えとなるも、当店の閉店などもあって荒廃が進みました。明治45年に耕春院32世棟方唯一が、耕春院の本寺であり、荒廃の進んでいた加賀の古刹宗徳寺の再建も同時に図るべく、その教線流播する因縁深い津軽の当地に移転させ、直末寺耕春院と合併し耕春山宗徳寺としました。
イメージ 17
続きましてその加賀の宗徳寺の歴史です。応永21年に加賀能美郡粟津庄、若松城主家臣時国新宮が粟津庄に創建。玉窓良珍開祖。文禄12年に小幡九平が父の菩提のため現地に再建し6月移転。直末12ヶ寺、孫曾孫を合わせれば932ヶ寺を有したと伝えます(明治37年発行金澤明覧)。当初龍谷寺(龍国寺とも)として開山され、後に宗徳寺と改められています。開山玉窓良珍とその門下が全国各地に教線を広げ、総持寺輪番地を勤めるなどして栄え、曹洞宗屈指の寺院となりましたが、時代の趨勢と共に次第に廃れ、明治45年に耕春院住職棟方唯一が中林文英住職と協議の上、宗徳寺を弘前に移転し、宗徳寺の直末寺・耕春院と合併して耕春山宗徳寺としました。
関連記事
イメージ 26
年表
応永21年-龍光山宗徳寺、加賀国若松城主時国信公建立。開祖玉窓良珍禅。
正長2年-玉窓禅師、総持寺輪番住職就任(龍光山宗徳寺)。
宝徳3年-玉窓禅師示寂(龍光山宗徳寺)。
天文11年-長福山安養寺、南部方田舎館城主千徳家建立。
天文23年-津軽為信の実父武田守信、南部桜庭にて討死。
天正元年~天正19年-長福山耕春院、為信が実父のため建立。開祖明室禅哲禅師を招く。建立地は津軽家の居城地堀越村。
天正10年-戦火によって諸堂が悉く焼失(龍光山宗徳寺)。
天正13年-田舎館5代城主千徳正武、為信により滅ぼされる。この時、安養寺住職明室禅哲禅師(玉窓良珍禅師の8代目)。
文禄3年-小幡宮内大夫、父のため加賀、堀川角場町(金沢市内)に移し再建(龍光山宗徳寺)。
慶長12年-2代藩主信枚、高岡城(弘前城)築城、堀越より移転。為信が京都にて死去(和暦12月、西暦翌年1月)。
元和元年-信枚、津軽一円の禅宗寺院33ヵ寺を西茂森に集め、耕春院も堀越より移転。
元禄13年-大火にて蔵経7千巻、雑書2千巻焼失。
文政元年-火災。
明治5年-大火にて焼失。
明治9年-火災。
明治31年-棟方唯一師「住職」との記録あり。
明治37年-「現住職中林文英」との記録あり。この時の末寺12ヵ寺(龍光山宗徳寺)。
明治42年-唯一住職、火災で荒廃した堂舎再建にかかる。
明治43年-本堂再建。耕春山宗徳寺
明治45年(大正元年)-唯一住職が荒廃の進んだ両寺院の再興を図り、中林住職と協議の上、加賀の宗徳寺が津軽に移転し、末寺である耕春院と合併し、耕春山宗徳寺誕生。棟方唯一師は宗徳寺28世に就任。
大正2年-唯一住職、秋田県大曲町の大川寺(総本山の直末寺)住職を兼任。
昭和9年-黒瀧精一師が宗徳寺29世に就任。
昭和18年-唯一師示寂。
昭和56年-精一住職示寂。黒瀧信行師が宗徳寺30世に就任。
平成24年-信行住職が宗徳寺移転合併百周年記念行事を開催。開山忌玉窓良珍禅師560回忌。耕春院開山明室禅哲禅師430回忌併修。宗徳寺28世悲相唯一大和尚70回忌併修。宗徳寺29世大玄精一大和尚33回忌併修。
にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 東北情報へ